会社を辞める事は悪なのか?
私は今の会社に勤めて8年目にして退職する事にした。
それまでたくさんの退職者を見てきた。
私が印象に残っているのは退職していった人達ではない。
退職する際の周りの人達の反応である。
何故笑顔で送り出せないのか
先程、周りの人達の反応こそ印象的だと書いたが、これは悪い意味で だ。
何故か。
それは必ずと言っていい程、退職する人の事を悪く言う風潮があるからだ。
真面目に働いていた人達ですら。
誰が悪く言うのか。
上司である。
私は飲食店に勤めているので、マネージャーの立場の人達である。
「本当にこの会社で働いてくれてありがとう。」等という会話は聞こえてこない。
どんなに一生懸命仕事に向き合って働いていた人ですらだ。
それを知っていたので、今月で退職する私もおそらく言われているのだろう。
(仲の良い社員の方に聞いたら、実際に言われていたらしい)
何が悪なのか
元々、私が勤めている会社では悪い噂は一瞬にして他の社員に知れ渡る。悪い噂に限って広まるのが早いのである。
じゃあ良い噂はどうか。
全く聞かない。良い噂が回ってきた事など記憶の限りない。
悪い噂というのは、誰々が仕事でやらかしたとか、誰々が問題を起こして降格になるとか、会社や個人にとってマイナス面の大きい話だ。
矛盾してしまうかもしれないが、この記事で私は会社批判をしたいのではない。
何故、退職者を心からの笑顔で送り出せないのか。何故最後なのにも関わらず、陰で悪く言ってしまうのか。
この事がずっと疑問であった。
様々な考えはあるが、退職者が出る事によって、
- 上司は自分の仕事の負担が増える
- 上司は会社からの自分の評価が下がる事への不満
ではないかと私は思う。
1に関しては飲食業界はやはり人手不足という現状がある。誰か1人が退職する事によって、その空いた部分を周りの人間が負担を背負う事になる。1人分の仕事を周りの人間に振り分けるので仕事量が増える事になる。
そして、その店舗が1人退職した後でも円滑に営業できるように
- 近隣店舗から1人異動させる事による人員の補充
- そのまま人員は補充せずに営業していくか
の二択になってくる。
1に関しては、近隣店舗から人員を補充する為、他の店舗にも影響や負担が出てくる。
2に関しては、退職した店舗にいる社員が負担を負う事になる。
どちらにしても、
- 仕事が増える⇒負担が増える
- 会社からの評価が下がる
- しわ寄せがきた他の社員からの不満
等により、マネージャーの仕事は増える事になる。
おそらく こういった理由により、不満を漏らすのではないだろうか。
じゃあ自分の場合はどうなのか?
私は居酒屋の店長を7年以上勤めてきたが、こういっては会社から怒られるが私は「辞めたい」というアルバイトを基本的に止めない。
もちろん理由も聞くし、辞めて欲しく等もちろんない。
現実的な話をすると、求人をかける時に掲載する求人媒体にかかる金額はピンキリだが、それなりの枠で掲載したいのなら10万以上はする。
1回の掲載で4週間10万円。
これは各社様々なプランがあるので、あくまでそれ位の金額はするんだ位に思っておいてほしい。
お金をかけて採用したからこそ尚更辞めてほしくないのである。
退職者が出たらまた求人をかけなければいけなくなり、お金がかかり、利益が減るからである。
しかし私は、その子が辞めたいならその子の人生なので束縛はできないと思っている。
私も、辞めたいと話した時に引き留められるのはありがたい事だが、私がそうしたいと考えているのだから私の人生は尊重してくれないのか、と思ってしまう。
個人の将来より、会社の都合を優先するのかと。
だから私も基本的には辞めたいという子を止めない。基本的には。
他の方が時給が高いからそっちで働くや、大学の留年が決まってアルバイト辞めますや、留学に行くので、等様々な理由はあるが私は基本的には止めない。
そして退職者が出たら、上司から理由を聞かれるし、内容によっては引き留めろと言われる。そして陰で愚痴を言われ評価に繋がる。
私は、会社の評価より個人の自由だと思っていたので、その点に関しての評価は気にしていなかった。その人達の人生だし、仮に引き留めて嫌々働かせたとしてそれは人生を損していると思う。
そして以外にもそういった理由で退職していった子達は、卒業後に定期的にお店にお客さんとして来店してくれる。
卒業して時間が経った時に笑顔で話せる。
そういった瞬間が私は嬉しかったりするし、この仕事のやりがいでもあると思う。
退職する時の今の心境
私は今月で退職するが、退職者側の心境としては 陰で悪く言われていたとしても全く気にならない。
何故か。
もう次の職場や次の環境の事を考えているからである。
次の未来を考えている人間にとって、今勤めている会社はもはや過去になりつつあるのである。
人生の次(未来)を見ている人が退職する会社(過去)の事は考えないのである。
どんなに陰で言われていようと、何も気にならない。
過去の事なのだから。
不便を楽しめる大人になりたいとも思う
今日Twitterを見ていたら山口達也さんが飲酒運転で逮捕されたというニュースを見た。
このニュースを見た時に、元居酒屋の店長(今月いっぱいで退職)の私はたくさんのお客さんを見てきた中で、アルコールによって横柄な態度をとってしまい(正確にはアルコールを摂取して本来の素が出てきた)周りから白い目で見られる人をそれなりに見てきた。
今回はその中でも特に印象的だった人を思い出したので書いていこうと思う。
自分の思い通りにいかないと店員を睨みつける女性
私が悪い意味で印象的なお客さんで真っ先に思い浮かんだのは、「煙草吸えますか?」と聞かれたので、全面禁煙だとお伝えしたら「は?」と言って3秒位無言で私を見てきた(私は睨みつけられたと感じた)女性だった。
正直この日私は家に帰ってからも気分が悪かった。
自分の思い通りにいかないからと言って店員を睨みつけたりするのはとても幼稚である。年齢にして30代の女性だったのだが、私はとても不快な気分になった。
飲食業がブラックと言われる要素
最初に断っておきたいのが、もちろん飲食業全般がブラックだとは私も思ってないし、自分の仕事に誇りを持って働いている人はたくさんいる。そういった方々を否定する等という気は一切ない。
居酒屋がブラックだと言われるのは、労働環境の要因が大きい。
サービス残業は当たり前、休みもほぼ無い、給料も安い。
しかし、それらと同じ位大きい要素として私が思うのは、個人を相手にする商売という点だ。
私が勤めていたのは客単価も3,700円以上、全席個室のお店だった為、客層は30代以上の方々がメインだった。
落ち着いている方が多く、逆に様々な飲食店を見てきた層だからこそ手を抜いた料理、適当な接客をしていたら2回目は来店してもらえない方々でもある。
皆さん優しく接して頂ける方ばかりだが、その中でもはっきりとおかしいと思う方は何名かいた。
私が先程言った個人を相手にする商売という話に戻すと、企業対企業での仕事ならば会社という看板を背負っているので、決して取引先企業相手に横柄な態度は取らないはずだ。
そんな事をしたら最悪の場合契約を解消される事もあるだろう。
相手と接する時は会社の看板を背負って仕事をするのだから。
しかし、個人の場合はどうだろう。
休日にどこかお店に入り店員さん相手に緊張感をもって接する人等いない筈だ。
むしろリラックスして買い物や食事、レジャー等を楽しむ筈だ。
この時に勘違いをする人がたまにいる。
お金を払っているのだから偉いと。
私は違うと思う。
お金を払って対価としてそのサービスを受けれるという事だけなのだ。
だからお客様は神様でもないし、私個人の意見としてはどっちが上という事もない。
お金を払って得たサービスが納得のいかないものならば、次は違うサービスを提供する所に変えればいいのだ。
もちろん、お店側から著しくサービスを受けれなかった時は抗議すべきだ。
居酒屋の場合、料理が遅いや、飲み放題なのにドリンクが全然来ないや、店員の接客態度が悪いや、聞いてもない席料サービス料週末料金等取られた等はきちんと責任者に
伝えるべきだと思うし、私もそういった経験をしたら素直に店員さんに伝える。(今の所そういった経験はないが)
今回お伝えするのはそういった私の想いを載せてから実体験を書いていきたいと思う。
自分の思い通りにいかないと店員を睨みつける女性
実際のエピソード
最初にこの女性を接客したのを今でも覚えているのだが、男性と2人で来店されて飲食をされていた。
途中で私が接客した際に女性から「ここはどこで煙草吸えるの?」と聞かれた。
東京都内が全面禁煙になったばかりで私が勤めている店舗も建物自体(上は7階で下は地下1階迄あり、様々なテナントが入っている)が全て禁煙で喫煙場所は建物を出なければいけない。
私は「全面禁煙になっているんです。申し訳ございません。」
とお伝えしたら
「は?」
と言われ3秒くらい黙って私の顔を見てきたのを今でも覚えている。
そして、そんな事があったにも関わらずこの女性は常連だったのである。バイトの子が教えてくれた。あの人良く来ますよね、と。
その子の言う通り1か月もしない内にまた来店された。
そしてデジャブかと思う位、最初に書いたような事があったのである。
女性「どこで煙草吸えるの?」
私「申し訳ございません。館内全面禁煙となっております。」
女性(無言で私の事を3秒位見る)
しかしそれ以上にがっかりしたのは、禁煙だとお伝えしたにも関わらず結局そのお客さんは席で電子タバコを吸っていた。帰った後の席を片付けている際に吸い殻が落ちていたのだ。
このお客さんに限らず、残念な話だが全面禁煙とお伝えしているにも関わらず、喫煙をするお客さんは一定数いた。
予備のトイレットペーパーの裏に吸い殻が隠されていたり、トイレのゴミ箱の奥に吸い殻が隠されていたり、トイレで煙草を吸ってトイレ中が臭くなって慌てて店の備品である消臭スプレーを空気中に噴射している時にトイレチェックに行ったスタッフと鉢合わせるお客さんだったり。
とても残念な事である。
そして何よりこのお客さん、実はもっと前から常連だった事を私は思い出した。
ずっとその日以降も頭の片隅でもやもやして仕事をしていたのだが、ある時ふと思い出した。
去年の年末に女性と2人で来店された。
その当時はお店も喫煙でき分煙をしていた。
そのお客さんはネットで予約をされており、繁忙月という事もあり喫煙席は空いておらず禁煙席でのネット予約で入っていた。
来店されてからそのお客さんは煙草が吸えない事を知り「喫煙席で予約を取ったんだけど」と言ってきた。
そんな事はなかった。ネット予約はFAXでも通知が来る。予約内容を確認したが、喫煙席は団体予約で空いていなかったので自動的に禁煙席での予約しか取れない状態になっていたのである。
「喫煙席が空きましたらすぐにご案内致します」
という対応をして仕事をしたのだけど、お客さんのこの身勝手な一言で私達従業員はかなり振り回される。予約の確認やお客様の対応等、この一言で忙しいにも関わらずスタッフ1人が持って行かれるのだから、さらに少ない人数で営業を回す事になる。
(決して人手不足でもないし、繁忙月は多めにシフトを組んでいる)
そして結局アルバイトから聞いた内容は「あの人席で煙草吸ってますよ」だった。
そのお客さんと一致したのだ。
煙草が吸えないとわかっているなら喫煙できる居酒屋に行けばいい。
こういった事をされると本当にがっかりする。
ましてや、これから社会に出る子達(アルバイトの子達)にこういった大人を見せたくなかった。同年代の大人として恥ずかしい限りだった。
一緒に居た見た感じ40代位の男性もその事を全く注意していなかったし、それでも一緒に来店されていたので二人ともそういった方達なのだろう。
サービス業の行く末とは
今の日本のサービス業は本当に素晴らしいお店ばかりだと思う。
競争が激化し、どの業種もどのお店もサービス面に力を入れている。
しかし私には少し不安に感じる事もある。
このサービス競争がどこまで行くのかを。
飲食店では充電器の貸し出しや、タクシーや運転代行に連絡、ハッピーアワーや期間限定で1杯10円でドリンクを提供するお店まで。
これらのサービスは一体どこまでいってしまうのか、そして当たり前になってしまうのが怖くもある。
利便性が高くなったのはとても素晴らしいし、私もその恩恵を受けてる消費者の1人だが、反面多少不便でもそれはそれでいいいのではないかなと思う。
その不便を楽しめる少し余裕がある大人になりたいとも思う。
勘違いする人が増えない事を祈りつつ。
感謝できるのは今しかない。
やはりブログを始めたからには誰かに読んでもらいたい。という気持ちが私にもあった。
始めた理由だけお伝えすると、「思考の整理」をしたいという気持ちからである。
毎日仕事で疲れて、何か疑問に思った事や、感じた事等を私は今迄素通りしてきた。
自分の感情というものともっときちんと向き合わなければいけないと思った。
そうしなければもっと歳をとった時に中身のない人間になってしまう。
自分の考えや想いを相手に自分の言葉で伝える事が出来ない大人になってしまう。
そう不安にかられたからである。
そして7つの記事を投稿して、ほんの少しだけ自分の思考を整理をした事によって自分は自己肯定感を高めたかったのだなと感じた。
もっと褒められたかったし、もっと周りに認めて欲しかったんだなと。
父方の祖母の話
今回は私の祖父母の話をしたいと思う。
「おじいちゃん、おばあちゃん」というお題を目にした時に、頭の中で思い返すと真っ先にこの父方の祖父母との出来事が思い浮かんできた。
それだけ私の中での強烈な出来事として記憶に残っている事があった。
亭主関白だったであろう祖父母
私のおばあちゃんは優しかった印象が今でもある。
それに対しておじいちゃんは孫である私にこそ優しかったが、おそらく厳格な人だったのではないかなと今振り返ると思う。
私の親も亭主関白なのだが、まさに父はおじいちゃんの子なのだなと思える程に似ていた。考え方や、物事をはっきり言う所、あと口ではうまく言えないのだが雰囲気があった。恐い雰囲気が。
そんな雰囲気こそあったが、おじいちゃんもおばあちゃんも孫の私には本当に優しかった。たくさんおもちゃ等も買ってもらったし、小学校に入学する時は勉強机も買ってもらった。3つ離れた兄に比べて私は勉強もできない、泣き虫な子供だった。しかしそんな私の事もおじいちゃんとおばあちゃんは愛してくれた。
予定をつけて会わなくなっていく日々
おじいちゃんとおばあちゃんは1年に1回はうちの家に来てくれたり、逆に家族4人で当時板橋に住んでいたおじいちゃんおばあちゃんの家にお邪魔しに行くこともあった。
しかし、小学校高学年にもなってくると友達と遊ぶ方が楽しくなってくる。
おじいちゃんおばあちゃんが家に来る日でも私は外で友達と遊ぶようになっていった。
おじいちゃんと会えなくなった日
私が中学生になってからは、野球部に入りより休みの日は部活、部活が無い日は友達と遊ぶという感じでほとんど家にいる事が少なくなっていった。
それはおじいちゃんおばあちゃんが来る日でも変わらなかった。
しかし、前からおじいちゃんの体調が良くないとは聞いていた。
老人ホームに入っている事も知っていた。
しかし、私は会いに行くことを避けていた。
高校も頭の悪い高校。小学校2年生から始めた野球も中学で辞め、特にこれと言ってやりがいもなく生きていたからである。自分に自信が持てなかったのである。
そんな何か自慢できるものもない状態で自分が小さい頃から知っている人に会いたくなかったのである。
そんな避け続けていたある日、朝起きたら両親共に家にいなく、置手紙で「おじいちゃんが亡くなりました」とだけ残されていた。
おじいちゃんが最後まで言っていた事
お通夜の時に父親が泣く姿を見て、私は胸が締め付けられる思いだった。
自分も少しでも気を抜いてしまうと、涙が出てきそうだったので必死に考えないようにした。
そして告別式なども無事に終わり、しばらく経ったある日一周忌の時の食事の際に親戚の人が言っていたのだが、
「まこと(私の下の名前)は大丈夫か」と何回も最後の最後まで私の心配をしていたらしい。
親からも聞いていなかったので、ショックと嬉しい気持ちと、感情がごっちゃになった。でも、やっぱり嬉しい気持ちになり、何だか心が温まる感じがした。
愛されていると実感した時、やっぱり人間は嬉しいのだ。
後を追うようにしていってしまったおばあちゃん
おばあちゃんもおじいちゃんが亡くなる前から体調がそんなによくなかった。
そして最後の方は老人ホームに入っていた。認知症も患っていた。
ある日、おばあちゃんも長くないという事で親戚一同でお見舞いに行った。
最後に皆で会いに行こうという事である。
その時に一人一人ベットに横になるおばあちゃんに声をかけていったのだが、おもむろにおばあちゃんが私の方を見て指をさし、「あの子は誰?」と2,3回繰り返した。
久々に会ったこともあり、私の顔がよく見えない事もあり、孫の顔を認識できなかったのである。
周りが「まことだよ。あなたの孫だよ」と説明しても、認知症だからなのか、おばあちゃんは納得していない様な、思い出せない様な、記憶にすらない様な感じだった。
私は泣きそうになったが、ぐっと涙をこらえた。帰る時も少しでも気を緩めると涙が止まらなくなると思い、ぐっとこらえていた。
その時の自分の気持ちを振り返ると、
「全然会いに行かなかったし、忘れられて当然」「今迄散々お小遣い等をもらったのに、何も返せていない。俺はお金(お小遣い)を貰う為に会っていたのか」
と、じぶんの今迄の行いを悔いたのを今でもはっきりと覚えいてる。
今できる事をしなければ意味がない
仕事が忙しいから。面倒くさいから。等の理由で私は本当に大切な事を後回しにしてしまった。
大人になった今でも私は人付き合いが苦手だ。大人数の飲み会も苦手だ。
でも、本当に大切な人はたまに顔を見せるだけでも、5分だけ会話するだけでも良いと思う。
行きたくもない飲み会に行くなら、本当に大切な人に会いに行くべきなのである。
居なくなってからでは何もできない。
会話をする事も、会う事も、顔を見る事さえできない。
天国から見守ってくれている というのはきちんと悔いなく送り出せた人が言えるセリフで、私はもっと会いに行くべきだったと後悔している。
家族で行くのが恥ずかしいなら、一人で行ってちょっとだけお邪魔して帰ってくるのでも良かった。
それだけでもお互いに嬉しい気持ちになれた筈なのに。
本当に自分の人生で大切な人が誰なのかをきちんと考えなければいけない。
私は8年働いた会社を今月で退職する。
久しぶりに親に会いに実家に行ってみようと思う。
アラサー男子がしいたけ占いに救われた話
勇気を出して、自分の実力以上のこともちゃんとやろうとしてきた。ただ仕事などを請け負うのではなく、自分なりに新しいプロジェクトをつくっていくような意思を持って、周りを面白くするために体も張ってきた。そして、あなたはプロが背負わなければいけない「自分で何とかしていくしかない」という責任の上での冷や汗もちゃんとかいてきました。
それをやろうとしてきたあなたは本物です。他人にはわからない影の努力もちゃんとしてきたのです。
2020年下半期のしいたけ占いにこう書かれていた時 私は泣きそうになった。
様々な事を我慢して、自分の多くの時間を犠牲にして、しかし会社からは評価されず、周りにも自分の努力を褒めてくれる人もいない、私の8年間の社会人生活は今振り返るとそんな言葉で言い表せる。
もちろん俺は寝る時間を削って頑張ったとか、そんな下らない根性論を持ち出す気は全くない。むしろ私は根性論は嫌いな方だ。
しかし、実績はきちんと残してきたからこそずっと誰かに褒めてもらいたかったのである。
ちなみに今更だが、しいたけ占いというのは しいたけ. さんという占い師の方の占いで【VOGUE GIRL】に毎週月曜更新される12星座占いが掲載されています。
(実は毎週月曜はこの占いを結構楽しみにしてます。)
冒頭の文章は、2020年の蟹座の下半期の占いでの内容を一部抜粋したものである。
8年間を振り返って
24歳で入社して以来、自分なりにがむしゃらに働いてきた。
飲食店の店長として、数字がわからなければ営業終了後に勉強し、前日売れて仕込みがある日は翌日は早く出勤する。アルバイトの子に効率よく仕事をしてもらう為の工夫や、部下の成長の為に本を読み問題集を作ったり、一覧表等を作成し何ができているのか、何が出来ていないのかを一緒に把握し、伸ばす為に仕事を与えたり、アルバイト一人一人と面談をしその子が今何に興味があるのかとか、仕事でわからない点や嫌な点等も聞いたりと自分なりに努力をしてきた。
これを言ってしまうと、矛盾してると突っ込まれるかもしれないが敢えて言うと、この努力は決して会社の為ではない。アルバイトや部下が少しでも成長してくれればと思って自分の時間を削り、周りの為に時間を使ってきたものである。
こう書くと偉そうに聞こえるかもしれないが、決してそういう事ではなく、責任感を持って仕事に取り組んでいたと私は胸をはって言いたい。
あなたの仕事の効率が悪いんでしょ?と言われてしまえばそれまでだが、皆が出来ない事が出来る様になれば最終的に自分を助け、将来的には会社の利益、財産にもなるので組織に属する人間として末端の社員として地道に努力してきたと言いたいのである。
組織の中での評価とは何なのか
私は大手企業で働いた経験もなければ、一流企業で働いた経験もない。
そういった企業は人事評価に関しては、きちんと数字化されていて、きちんと人事部との面談等があり決められたな評価項目があるのだと思う。(おそらく)
しかし、飲食業界(私がいた会社)は 数値化 されていない部分も多いのではないだろうか。
もちろん全ての評価を数値化する事は出来ないし、してほしくもない。
数字が全てではないと私自身も思っている。
しかし、組織内での評価とはいったい何なのか。
望んでもいないのに優劣をつけられて、そこに納得いかない者や、退職する人間まで出てくる。給料が見合わないや、何であの人は大した仕事もしていないのにあんなに給料を貰っているんだ、等の不満が至る所に溢れている。
かくいう私もその内の1人だ。
会社からしたら数字の実績では大したものを残せていないかもしれない。
しかし、会社の将来の財産となる人材の育成には不器用で効率が悪いながらも一生懸命に取り組み部下の昇進にも尽力した。
こういった人材の育成 人の部分に関しては数字として表れにくい部分である。
だからこそ、9月の現在勤めている店舗の閉店と共にに2つ下の役職迄下がる 降格 というのが納得できないでいるのである。
しいたけ占いに全て救われた
そんな納得がいかず、悶々と過ごしている日に冒頭で紹介した文章が書かれていたのである。たまらずに少し泣いてしまった。
誰にも褒められず、誰にも評価されず、自分はこの8年間何をやってきたのか、何の為に働いてきたのか、自分のやってきた事に意味はあったのか。
それを全て文章にし、褒めてくれて、お疲れ様でした、とそう優しく言ってくれたのがしいたけ占いだったのである。
それで全て報われた気がしたし、俺は間違っていなかったんだと思えた。
いや、間違っていなかった。
そう思わせてくれる、全てを肯定してくれる占いであった。
9月14日からの運勢
そして9月14日からの1週間の運勢はこのようになっている。
「自分の存在だけじゃなくて、もっと大きいものを色々と引き受けてきた」ところがあったのです。つまり、ここまでの蟹座は「自分のこと以上に、他人や周りのため」に手を貸そうとしてきたところがありました。何でそんなことをやったか。それは、後悔しない未来をつくっていきたかったから。だから、あなたはできるだけ正直に周りに接したと思うのです。甘えるところは甘えたかもしれないし、厳しく言わなければいけないところは厳しく言ったり。それで、周りにガッカリされることもあったかもしれない。だって、正直な自分の意見を言わなければいけなかったから。先週あたりから、あなたの「支えてきた期間」は終了してきて、今週も「自分を回復させる期間」にあたります。
これを見てほっとした自分がいると同時に、もう休んで良いんだなという思いから何とも言えない清々しい気持ちになった。
そして最後は
安心感を取り戻していくときです。本当に最近までお疲れさまでした。自分を回復させていってくださいね。
この上ない言葉で締めくくられていた。
私が何よりも会社に言って欲しかった言葉なのかもしれない。
月400時間働いて私が得たもの
私は2014年8月に初めて飲食店の店長になった。当時27歳。イケイケである。
27歳で一国一城の主になってしまったのである。
席数88席、従業員数(アルバイト)5人のオープン当初から人手不足で他店からヘルプを借りなければ営業できないお店であった。
当時私が住んでいたのは府中で勤務地は広尾(六本木の隣の駅)車で片道1時間30分~2時間かかる。
今思えば初めての店長として働くには条件が良いとは言えない。むしろかなり悪い。
と言うより会社側としては新人店長に絶対にやらせてはいけないようなお店である。
店長としての異動を打診された時、これを断ったらチャンスを棒にふるようなものだと思い「私で良ければ宜しくお願いします」と言ってしまったのだ。
この後経験する地獄をこの時の私は知る由もない。。。
真面目な人程うつになりやすい
この言葉を聞いた時に本当にその通りだと思った。
真面目な人は逃げる事をしないからである。
何かあれば自分がもっとこうしていれば、と考えてしまう為気付けば全てを背負い込んでしまう。そして気付かない内に背中に抱えきれない程のプレッシャーや仕事や人間関係を抱えこんでしまい、それでも走ろうとする為、気付いた時には立つ事すらも出来なくなってしまう。
私も、振り返ると人件費をもっと抑えなきゃと明らかに人が足りていない状態で営業したり、少しでも売上高を上げる為にラストオーダーの時間を延ばしたり、無理をして自分の時間を削ってお店に捧げてしまった。
通勤時間も約2時間かかった為、いつしか私は店で寝泊りするようになっていった。
寝袋を買い、シャンプー、ボディソープを買い、バスタオルは更衣室に干し、夜中にキッチンで頭を洗い、体を洗い、そして店の席で寝る。ご飯はコンビニ弁当。
そんな生活をしていたので、当然疲れが取れる訳もなく日に日に体力は疲弊していき精神的にも疲弊していった。
1度も店に来なかったエリアマネージャー
私はこのお店に3年間務めた。しかし、一度もエリアマネージャーは店には来なかった。
今でこそ、月に一度定期診断という形でマネージャーが店舗に来て店長と
面談をし、店内を見たり、営業風景を見たりして出来ていない項目を指摘頂いたりといった制度ができたので、最低でも月に1度はマネージャーと話す時間が必ずある。
しかし、その当時はそういった制度はできておらず、一度も私が働いている所を見てもらう事はなかった。
頑張っているのに褒めてもらえない所か、見に来てさえもくれない。
全て数字で判断される。
毎月売上目標に届かなく、赤字だった。
どんなに、団体の宴会を1人で回したり、アルバイトを全員23時にあげてそれ以降全ての片付けを1人でして気付いたら朝の6時になる迄働いても、結局 売上目標には届かなかった で全て終わってしまう。
今振り返ると空しいだけである。今なら絶対にそんな働き方はしないが、その当時の私はそれでも もっと頑張らなきゃもっと努力しなきゃ と本気で思っていた。
完全に病気である。
気付いたら3年の月日が流れていた
そんな過酷な日々が過ぎ、気付いたら私も30歳になっていた。気付けば3年。
振り返ると。。。。正直ほとんど記憶がない。笑
それだけ初店長のお店で必死に働き、必死に店長として必要な数字を勉強し、アルバイトともうまくコミュニケーションが取れず辞めていくバイトもいたが(このお店はアルバイトが5名以下と人数が少ないにも関わらず派閥があったりと雰囲気はとてもよくなかった。途中からアルバイトを募集しても来ないので(六本木の隣の駅にありながら時給は1,100円、賄い無し、交通費無し、というのが会社の条件で、その条件で応募してくるアルバイト等1人もいなかった)週4日入れる固定の派遣のアルバイト2名(2名とも40歳過ぎの派遣アルバイト)と契約したがこの2名も問題児)、3年間必死に走り続けた。
2年半経ったくらいに社員が1名異動してきて初めて社員2名体制になった。(この社員も問題児)
しかし、その社員も退職(元々やる気が無いで有名)するという事で部長が話を聞きに店舗まで来た時の事である。
退職に関しての話だったので、なるべく自分は離れた場所で仕事をしていた。
そのついでに私とも話をしたのだが、その時の会話は今でも覚えている。
部長の一言で少しだけ目が覚める
「なんで引っ越さないの?」
そう部長に言われた。
会社から引っ越し資金等一切出ないにも関わらず、何でお店の近くに引っ越さないのかと言う訳である。
正直バカバカしいと思った。
そこで初めて我に返れた。どこまで会社の為に尽くしていると思っているんだと。
それなのに、自腹で引っ越せと。
この言葉があり、逆に冷静になれたのを今でも覚えている。
しかしこの後話は意外な流れになっていった。
この数日後、異動の打診があった。
部長が「はせ川が引っ越さないのは前いたエリアに未練があるから」という理由で以前いたエリアに戻そうという事になったのである。
意外な形で3年務めた店舗を異動する事になった。
月400時間働いて得たもの
私は初めて店長として働いたお店を3年間で異動する事になった。
振り返ってみると本当にしんどい期間だった。
そんだけしんどい思いをしたらさぞ得るものも大きいかと思いきや、実はそうでもない。というより、 得たものは何もない というのが答えだ。
自分がやりたい事をやって、夢の為に目標の為に、努力した時間、働いた時間ならば大いに成長と価値ある時間だったと思う。
しかし、私の働き方はあくまで 仕事上の業務 だった。
お客様を席にご案内し、オーダーを取り、ドリンクと料理を作り、提供し、お客様が帰ったら片付けをして、洗い物をし、次の日は朝から仕込み、を3年間やっていただけなのである。
月平均300時間労働だとするとそれを3年間(36か月)なので10,800時間を業務にひたすら充てていただけなのである。
それでは何も得るものはない。あったとしてもごく小さいものだろう。
それならばその10,800時間を読書や、自己研鑽に充てれば大いなる成長があったに違いない。
これが私の結論である。
そんな私も8年務めたこの会社を退職する。
次の転職先は残業なし、有給消化100%、年末年始休みの 自分の時間を確保できる 職場である。
年収は下がるが私は 自分の命の時間を大切にする という自分の中でのルールができたのでこれに則って次の職場で明るく働きたいと思う。
そう思えたのはこの3年間があったからに他ならない。
承認欲求を満たす事によって人は生まれ変われる
最近になって 承認欲求 という言葉はよく聞かれるようになった。
もちろん昔からこの言葉は存在すると思うけれど、10年前には口にする人はほとんどいなかったのではないかと思う。
私がこの言葉を意識するようになったのは講演家の鴨頭嘉人さんの動画を見てからだ。
最近ではYouTubeでよく見かける人も多いと思う。
当時私は飲食店の店長として日々アルバイトの教育、部下の教育に毎日悩んでいた。
どのように行えば効果的な教育ができるのか
どのように教えれば生産性を上げられるのか
どういう教育をすれば指示を出さなくても自発的に行動できる人材を育てられるのか
どう接すれば意識の高いバイトを育てられるのか
どう接すれば皆と上手くコミュニケーションが取れるのか
を日々考え、しかし全く答えが見つからず悶々とした日々を過ごしていた。
それもそのはず。その答えを持っている人が周りに誰もいなかったからである。
そしてそれらを効果的に行い店舗運営をしている店長が私の周りにはいなかったからである。
要するに答えを持っている人はいない。お手本となるような人もいない。
本にも書いてない。誰も教えてくれない。
ずっともやもやとしたまま毎日仕事をしていた。
鴨頭さんのYouTube動画を見て確実に自分の中での一つの道ができた
そんな中、会社の会議で少しだけ動画を見るという事でスクリーンに映し出された動画を見る事に。
その時に、鴨頭さんの動画を初めて見た。一つの動画の一部でしかなかったが、ついつい見入ってしまった事を今でも覚えている。
アルバイトの女子高生が辞めようと思って出勤した時に、最後に挨拶だけは大きな声で
勤務先に入っていったら、社員の方から褒められて、その時初めて認められた、という話である。
それから家に帰ってネットで鴨頭さんの動画を検索してみる事に。
とにかく気になった動画は片っ端から見ていった。
承認欲求という言葉との出会い
そんな鴨頭さんのYouTube動画を見ていく中で、よく出てくる言葉がこの承認欲求という言葉だった。
鴨頭さんの体験談から話される内容にはとても説得力があり、かつ納得する話ばかりであった。
特にマクドナルド時代の話をしている動画があると、自分も飲食業で働いていたので勝手に親近感を感じながら動画を見入っていた。
鴨頭さんの動画を見る内に承認欲求がいかに大事かという事がとても理解できた。
これを理解した上で他者と働くのは訳が違った。
そして何より私自身も承認欲求を満たされていなかったと気付いた。
小手先のテクニックなんて必要ない
私は今迄人の育て方や、コミュニケーションの取り方で毎日悩み、答えもわからず、結局変化できずに毎日仕事をしていた。
しかし1本の動画との出会いからたくさんの事を学び、自分も少しずつ変化する努力をした。
いきなり変わるのには相当なエネルギーと努力を要するので、少しずつ少しずつ学んだ事を働く時に活用するようになっていた。
私は以前から新人に対しての研修には時間をたっぷりかける。
まずは制服と名札をきちんと用意し、店内を案内する。タイムカードの打刻の仕方を教え、始めは席に座って座学の研修。その後にシフトの確認。取り扱っているメニューを紹介しつつ注意点を伝え、ハンディターミナル(オーダーを受ける際に入力する機会)の使用方法を教え、トレンチ(おぼん)の持ち方、運び方、実際にトレンチにグラス、皿を
のせての運び方の練習、そしてオーダーを受ける時は初めの方は少し離れた所から見て確認し、お客様が帰った後の席のセットはきちんとできる様になるまで終わったら報告してもらい、一緒に確認するようにしている。
そしてそれにプラスして、暇な時はコミュニケーションをとる、褒める等を徹底する様にした。
当たり前の事だが、仕事が出来たら褒める。言われた事をしたら褒める。
もちろん、注意する時は注意したが、最後は必ず名前を呼んでお疲れ様ですと言うようにした。
見違えるように変わる人達
少しずつ自分の仕事にも学んだ事を取り入れる様になってから、変化が目に見えてわかってきた。
特にわかりやすいのは新人のアルバイトの子である。
今でも覚えている子が2人いる。
1人はコンビニでアルバイトをしていた高校を卒業したばかりの女の子だ。
この子は初めてのアルバイトがコンビニだったのだが、きちんと研修やハウスルール等も教えてもらえないままいきなりレジに立たされて働く事になったらしい。
そして何より衝撃的なのが、シフトが固定等ではなく働ける日に当日お店から電話がかかってきてその日に出勤するというシステムだったらしい。
1か月分のスケジュールがわかるわけでもなく、曜日で固定でもなく。
私もたくさんのアルバイトを面接してきたが、初めて聞いた働き方だったので衝撃だった。
その子を少しずつ教育していくと、アルバイト自体が楽しくなったらしく、「アルバイトは店長で変わる」と他のアルバイトに言っていたらしい。
本人を見ていても楽しそうに働くようになっていった。
ある時冗談で、「俺異動になったんだよね」と言っていたら泣いてしまう程だった。
もう1人は高校の時に吹奏楽で全国大会に出場する程の強豪校にいたが、顧問の先生は生徒には基本的に関心なし、先輩はめちゃめちゃ怖いという環境にいた子だ。
この子はアルバイト自体が初めてだったが、褒める事を徹底した。
おそらく環境的に自己肯定感は低いだろうなと感じたからである。
その甲斐もあって、仕事こそ覚えるスピードは遅かったかもしれないが、最後はその時のお店が閉店する事になったが家で悔しくて泣いたとの事だった。
時代が変わっていく中で、自分も変化しないと取り残されてしまう
今から10年以上前の飲食店のアルバイトは「嫌なら辞めていいよ」と店長が当たり前の様に良い、仕事ができなければクビにされたり、とてもホワイトな印象はなかった。(私の周りだけかもしれないが)
しかし、今の時代は最低賃金は都内は1,000円を超え、より人手不足が深刻化している。
探さなくても自給の高いアルバイト先はいくらでもある。
また、職種の幅も広がった。ウーバーイーツ等個人で働くアルバイトも当たり前になった時代である。
私の上司がこんな事を言っていた。
「今の子は続ける理由じゃなくて、辞めない理由を探す」と。
特に理由はないけど、しっくりこなければあっさり辞めてしまう時代なのだ。
そんな中で今迄と同じ働き方、同じ怒り方、同じ仕事の教え方をしていたら何か不満が無くてもアルバイトは定着しない、他を探す時代になってしまった。
そこに不平不満を言っていても何も始まらない。
むしろ周りが変化していく中で自分だけが取り残されてしまうのだ。
新しい価値観を受け入れ、自分の中でかみ砕いて昇華すれば、自分の視野が広がり人生を楽しむ事ができると思う。
自分の人生に不満がある人は他社の決断を非難する
私は約8年務めた会社を2020年9月いっぱいで退職する事にした。
それを伝えた時の周りの反応はこうだ。
「辞めてどうするの?」
「同業他社に行けばわかるけどうちの会社はだいぶホワイトだよ」
「転職活動する時は気をつけな。給料が残業代込みとかあるからね」
「営業は絶対辞めなね」
等々
そして何故か会社に対して不満を言い始める意味の分からない上司もいた
「おれも店長時代、誰々より給料低くてさ!マジで意味わかんなかったよね!」
周りの反応は様々であった。
これらに対して私が思ったことは
うるせえ。
だった。
周りの人間に言われた言葉に共通していることは95%以上の人間が肯定的な事を言ってくれる人はいなかったという事だ。
「今迄お疲れ様」や「今迄この会社で働いてくれてありがとう」等の言葉をかけてくれる同僚や上司はほぼいなかった。
これに対して私が思った事はがっかりした半分、ああやっぱりこういう反応かという予想していた反応だったという気持ちが半分だ。
何故多くの人間が辞めていく人間に対して労いの言葉をかけてあげられないのか。
笑顔で送り出してあげる事が出来ないのか。
それは自分は今この会社で 我慢 して働いている。
だからこそ、その環境から抜ける人間を素直に喜べないのである。
過去の自分の考え
先にも伝えたが、私が退職の報告をした時に大半の人が否定的な言葉を送ってきたのだが、じゃあ今迄自分はどうだったのか?
私も入社して間もない頃は上記のような人間だった。
何故か?
それは自分はサービス残業もしている。休日出勤もしている。あの人(退職する人)は何か頑張っているのか?
というような危ない思考であった。
私は頑張っている。でもあの人は頑張っていない。だから理由をつけて退職(逃げる)するのだ
と、こういうような思考に自分でも気付かない内になっていた。
毎日忙しく働き、肉体的疲労が蓄積していくと、肉体的疲労は精神的疲労に影響を及ぼすようになる。
その当時の私は気持ちに余裕がなく、人に優しくする余裕もなかったのである。
身を削って働いている自分は会社に貢献しているから偉いと心のどこかに思っていたのだと思う。
かなり誤った方向に行きかけていた、と今の自分なら思えるのだが、当時は会社に寝泊りをし、月400時間以上働いた月もあったので、周りに優しい言葉をかける余裕など無かったのである。
今の自分の考え
退職する人間を逃げる、他の環境でやっていけるのか、と心の中で避難していた今の私はというと、退職の報告をした際に否定的な意見だった人誰一人からも 退職する理由 を聞かれなかった。
退職する理由も聞かれずに、否定的な事を言われてしまったのだ。
まさに今まで自分が人に対してしてきた事が返ってきたのである。
最初は心の中で寂しい気持ちにもなったが、周りをよく見てみるとどこか余裕がない、または周りの環境を見ようとしない、周りの環境と今の自分がいる環境を見て見ぬふりをして動き出そうとしない人が多いように見える。
だから私はその人達の事を否定する気は全くない。
過去の自分がそうだったように。
辛い事を我慢して報われるほど人生は甘くない
退職する事を決めた3か月前この言葉に出会った。
衝撃が走った。
それと同時に何だか納得してしまう自分もいた。
今迄私は実績も残したし、人も育てた。会社に貢献してきたつもりであった。自分の時間をそれらに捧げて。
しかし、辞めると報告した時それらの対価として何かを受け取ったのか?
何も受け取っていない。
それもそのはず。会社はそのような約束などしていないし、サラリーマンである以上企業に属しているいち社員として当たり前の事をしただけなのだ。
私は頑張った。結果も残した。だから何かあるでしょ!?
と思ってしまうのは自分のエゴである。
そして、この「辛い事を我慢して報われるほど人生は甘くない」という言葉でようやく気付くことができたのである。
私は認めて欲しかっただけなのだと。褒めて欲しかっただけなのだと。
これからの自分
散々否定的な事を言われて辞める今でも、私の気持ちはとても清々しい。
自分で決めて自分で行動するからであろう。
これからの人生は、自分の意志で決めて、自分の意志で行動していく。
そんな当たり前の事が私には出来ていなかったように思える。
転職したいと思いながらも、1年間行動に移さなかったのは、今の自分と正面から向き合っていなかったからである。
そして、それに気づき自分にとっての幸せとは何なのか を考えた時に純資産が1憶円あるお金持ちでもなく、仕事をバリバリ働いて会社に貢献し年収1千万ある会社員でもなく、女の子にモテて毎日女性と飲みに行くでもない事に気付いた。
これからの人生で私にとっての幸せは何なのか?
自分のやりたい事は何なのか?
を模索して生きたいと思う。
疲弊して精神が壊れるほどに働く事をやめて。