環境って大事。人生が変わってしまうから。

海外の校長先生が来日して日本の小学校を視察するというテレビ番組があった。その際に小学校で行われてるマラソン大会の順位付けについてのフィンランドの小学校の校長先生が

「がっかりですね。」

と言った後に、その理由として

「運動はそもそも良いものなのに子供たちを競わせることで運動が得意じゃない子はビリと言う烙印を押されてしまいます。それでもう運動はやりたくないと思うようになるのではありませんか?」

 

こういった動画がツイッターリツイートされてきた。

 

私は運動が得意な方だったので、子供の頃にこれについて深く考えた事はなかった。

しかし、違う分野での出来事を私は自分の経験に重ね合わせて思い出した。

 

それは勉強である。

 

私は子供の頃から勉強が苦手だった。

どの教科が、とかではなく勉強全般が苦手であった。

 

しかし、大人になった今は物凄く勉強したいという欲が出ている。

時間とお金があれば、大学にも行ってみたかった。

 

では、勉強が苦手なのは何かきっかけがあったのか?

 

これを考えた時に私は真っ先に頭に出てきた記憶がある。

それは小学生の時に通っていた塾での話。

 

算数を習っていたのだが、その先生は短髪で,はきはきと喋る先生だった。

先生1人に対して生徒2人もしくは3人という環境だった。授業内容はマンツーマンなので、やっている授業内容は生徒それぞれで異なる。

教科によって先生が違うのだが、国語はまた別の先生だった。(この先生は大学生だったのだが、正直そんなに頭が良くなく、先生がトイレに行っている間に勝手に答案用紙を見た事があったのだが、結構答えを間違えていた事が何回もあった。算数の先生とは違い優しかったので、嫌いではなかった。)

 

アパートの1室で畳の上に勉強机と言う何とも違和感のある塾だったのだが、私は小学校6年生の時に一緒に受けていたのは中学生の女の子2人(ギャル)の3人で授業を受けていた。

女子生徒2人は友達だった為、授業中はだいたいうるさかった。

 

そして、私は算数の先生によく怒られていた。

理由は 答え をよく間違えるから。

 

特に今でも記憶にあるのは、その塾が潰れるという事で最後の授業になったのだが、最後に一つ問題を解いて終わろうという事になり、問題を解く前に「頼むからこれは正解してくれよ!」と言われ、めちゃくちゃプレッシャーをかけられた。

その問題は公式を使って解き、最後はA、Bに書かれている答えの数字どちらかに〇を付けるという答えが2択になっている問題だった。

がちがちにプレッシャーをかけられた私は最後の問題も見事に間違えた。

そして怒られる。

「なんでこの問題がわからないんだよ!頼むよ!なんで間違えるんだよ!」

 

今の私ならこう突っ込むだろう。

「間違えてわからない部分を教えてあげるのがあなたの仕事だよ」と。

 

そういった事もありその辺りから私はどんどん勉強が苦手になっていった。

中学では勉強を頑張ろうと思っても、何をどう勉強するのかがわからない。

 

一度中学1年生の時に歴史の授業で酷い点数を叩き出し、授業後先生に廊下に呼ばれ「どうしたんだ?何かあったのか?」と言葉をかけて頂いたが、

「何を勉強すればいいかわかりませんでした」

と正直に言った記憶がある。

 

そう、小学校でつまずいてしまっていた私は、中学ではやり直せると思っていたが、小学校の勉強でつまずいた私は中学でも勉強に苦手意識が先行し、完全に挫折してしまった。

 

そしてもっと最悪な授業もあった。

それは数学の授業で、割りばしに数字が書かれており、それを問題ごとに先生が引く。割りばしの番号に書かれた出席番号の生徒が答えを発表するというものであった。

その授業は恐怖でしかなかった。

間違えたら笑われる。答えられなかったら裏で皆にばかにされる。

そんな事しか頭になく、正直問題は二の次だった。

 

近くの頭の良い生徒に答えを聞いたり、必死に教えてもらったり。

問題を解く迄の過程が大事なのに、私が欲しいのは答えだけだった。

 

今思うと勉強とは何なのか と思ってしまうのだけれど、当時の私はそこから完全に勉強が嫌いになり、自分は勉強が出来なくて頭が悪いと無意識の内に自分に言い聞かせていた。

 

そうして育っていった私は今でも勉強に対して、大学に行っていない事に対して劣等感がある。

 

大人になった今思う事は、子供は環境を選べない。

学校も、先生も、家庭環境も。

子供の頃の環境はとても大事である。子供に限らず大人の私達でも環境はとても大事である。環境によって人生が変わってしまうからだ。

 

幼少期に受ける影響は特に成人してからも色濃く自分の中に残り続ける。

 

もし私が違った環境で育っていたら、今の自分は違う人生を歩んでいるかもしれない。

というより歩んでいるだろう。

 

今でも私がもし子供に戻ったら何をするかと聞かれたら、真っ先に勉強と答える。

心の底からそう思う。

私にはまだまだ知らない事がたくさんあり、世界の過去の歴史はもちろん、日本の歴史さえ理解していない。

これらの知識が増えたら、きっと考え方なども変化するのだろうと思う。

 

最近SNSを見ていると、今迄の学校のルールや、コロナ禍がきっかけによる働き方の変化や社会の変化、会社のルール等が見直されている。

 

いつまでも昔のやり方が10年以上も適用できる世の中ではないのだなと日々実感する。

 

私は学校という集団の中では、勉強が1人取り残されるのはある意味では仕方のない事だと思う。

先生1人に対して、何十人の生徒を見なければいけない。

遅れている生徒に合わせていたら全体が滞ってしまう。

だからといって、毎回放課後に勉強を教えるのかというとそれも先生の負担が大きすぎる。

出来ない部分は学校以外の部分で補うしかない。

 

私は飲食店で店長をやっていたのでわかるのだが、接し方ひとつで大袈裟かもしれないが、その子の人生を変えてしまう事もある。

 

だからこそ、塾などの子供と接する場では先生は愛を持って接してほしい。

 

以前アルバイトの面接に来た大学生で、塾講師のアルバイトを掛け持ちでしている子が来た。その子は、面接の場でも私の正面に座らない。(壁によりかかって面接を受ける)

掛け持ち先のアルバイトの話を聞いただけなのにいきなり「ブラックなんですよねー」と言い始め、理由を聞いたら授業が終わった後に講師の方々は反省会があるとの事。それが面倒臭いらしくブラックと言っていた。(もちろんその時間も給料は発生する)

他にも色々と聞いてもいないのに、その子は愚痴を言い始めた。聞いていたら、要するに面倒くさいという事ねっていうレベルの話ばかりであった。

 

その子は、今いるアルバイトの紹介で来たのだが私は不採用にした。

その後電話で不採用の件を伝えると、これまたぶつぶつと文句を言い(もちろん直接不採用の理由は言わず、希望のシフトに入れない等伝え、相手が不快な思いをしない様注意を払って伝えた)、が

「ああ、そうですか はーい」

と言って切られた。

紹介してくれた人に対して何も思わないのかと思いながら私は受話器を置いた。

 

何が言いたいのかと言うと、そんな人には塾講師などしてほしくもないのだが、そんな人がやっているのも現実だ。

 

だからこそ、怖いのである。

自分の影響力を考えていない人間が若い子に接するという事が。

ましてや、その場において自動的に上下関係が出来てしまうような環境では特に。

 

本当は勉強ができるのに、様々な理由で苦手意識を持ってしまいそのまま社会に出てしまう人は多いと思う。

 

そんな人が一人でもいなくなる世の中になってほしい。

自分の事をできないと決めつけずに。

お菓子が家にあるというのは親の優しなのである。

今週のお題「好きなおやつ」

 

最近忙しくて2日間ブログを書く事が出来なかった。毎日更新すると誓ったのに忙しいを理由にしてしまった。

そして、書こうとずっと思っていたのでせっかくなので先週のお題になってしまったが、「好きなおやつ」について今更ながら書いてみたいと思う。

 

秋になると おさつ というスナック菓子がスーパーのお菓子売り場に並び始める。

その時に私は毎回このおさつが大好きで真っ先に探していた。

 

しかしそれは子供の頃の話。

 

そもそも、大人になってからというものお菓子自体を全く食べなくなった。

子供の頃は、必ずと言っていい程ほぼ毎日のようにお菓子を食べていた記憶がある。

 

特に母親が夜テレビを見てお酒を呑みながら食べるお菓子がいつも美味しそうに見えるのである。

そんな母親は毎回お菓子を家に置いといてくれた。

冷蔵庫の左横に必ず幾つか種類があり、品数も揃えていてくれた。

 

そことは別に台所の上の棚にもお菓子が保管されている。

しかし、ここは安易に触れて良い場所ではない。

父親が食べる用に置いてあるお菓子なのである。

間違って勝手に食べようものなら、想像するだけでも恐ろしい。

子供ながらに絶対そこは触っちゃダメと自分に言い聞かせていた。父親はめちゃくちゃ怖い。

 

そんな実家で育ったが、私は24歳の頃に初めて1人暮らしを始める事になった。

仕事の関係で急な1人暮らしだったが、慌ただしい日々が過ぎていった。

 

そして、【今週のお題】を見た時にふと思った。

 

そういえば一人暮らししてから 俺お菓子全然食べてないな という事に。

 

自炊もしていたし、一人暮らし歴5年以上になるがスーパーにご飯は買いに行くけれどお菓子を買った記憶はほぼ無い。

 

彼女もいた事があり、家で半同棲みたいな生活もしていた事もある。ビールを美味しそうに呑む彼女だったがそれでも私は今思えば気が利かない男なのだが、おつまみを全く用意しなかった。

私自身家でお酒をほとんど呑まないので、家でおつまみと一緒にお酒を呑むという感覚が無かったのである。

 

私は友達や同僚、上司や会社の呑み会に参加した時は、普通にお酒を呑む。

嫌いでもなく、人並みに呑める。強いて言うなら頭痛持ちなので、アルコール頭痛が起きるが頭痛薬を常に持っているので薬を飲めば治る。

 

では何故家でお酒を呑まないのか?

 

家で呑むお酒は、お店で呑むお酒よりも何だが美味しく感じられない。全く違う味に感じるのである。

なので、家ではよっぽどの事がない限りお酒を呑まない。

 

お酒を呑む彼女からしたらつまらない男である。

 

あれだけ親がお酒を呑みながらお菓子をつまみに食べる姿を見て育った子供だが、その点だけは親とは正反対になってしまった。

 

何故私はお菓子を食べないのかずっと考えてみたが、一つの答えに辿り着いた。

 

親の優しさに甘えていた という事に。

 

親が子供の事を思いお菓子を買ってきてくれる。家には必ずお菓子があるので毎日の様に食べる。それを見て親も好きなのだなと思い、毎回買い物の時に買ってきてくれる。

 

私はその親の優しさに甘えていたのだとこのお題をきっかけに気付く事ができた。

 

思い返してみると、父親が寝た後に母親と一緒に好きなテレビ番組を見ながら一緒にお菓子を食べるのが好きな時間だった。

 

以前久しぶりに帰省した時も、帰り際母親は何も無いけどと言ってお菓子をたくさん持たせてくれた。

お菓子食べないんだけどなと心の中で思いながら、でも嬉しい気持ちになったし懐かしい気持ちにもなった記憶がある。

 

お菓子が常に買って置いてあるというのは親の優しさだったのだなとこの歳になって初めて気付いたのである。

 

 

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久しぶりにスーパーで買ってきた大好きなおさつ

 

大事なのは愛

2020年9月30日(水曜)私の勤務していたお店が閉店を迎えた。

 

閉店最終日は卒業したアルバイトが飲みに来てくれ、総勢10名程での宴会をしてくれた。

それと同時に私も今勤めているこの会社を退職する事になる。

 

たくさんのお客様が来てくれた、という所に注目が行きがちだが、それ以上にチェーンの飲食店では基本的にそのお客さんを対応するのは20歳前後のアルバイトの子達だ。

私は正直、お客様はもちろんだが、このアルバイトの子達こそがこのお店を支えてくれた本当の主役であると常に思っていた。

 

お客様と従業員どちらの方が重要か ではなく、私はお客様を対応するのはアルバイトの子達なのでアルバイトの教育の方に重きを置いていた。

 

アルバイトの子達がマニュアルを守って、生き生きと楽しく働けば自然とお客様は増えていく。

お店の雰囲気と言うのは、良い物も悪い物も必ずお客様にも伝わるのである。

 

 

多くの店長はお客様あってのお店だと言う。

 

しかし、店長はアルバイトがいなければ売り上げを上げる事も出来ない。むしろ1人では何もできないのである。

 

だから私は飲食店を営業していく上で何が大事かと聞かれたら、アルバイトと答える。

 

 

昔父親が働いていた会社に新卒の新入社員が入ってきた時に母親に「やっぱり若い奴らがいると活気があるよ」と言っていたのを思い出した。

 

私もこの歳になってそう感じる様になった。

特に私が働いたのは20歳前後の子達が中心だったので、若く、希望にあふれ、可能性も無限大に秘めている年齢でもあると思う。

 

そんな若い子達と働いていると、たくさんの元気を貰ったし、たくさんの事を学べた。

 

そんなアルバイトだった子達が、卒業をし、社会人となって久々に会いに来てくれたのである。

 

私が退職する事を知り、花束を持ってきてくれたり、差し入れでビールを頂いたり。

 

むしろ感謝するのは私の方なのに、最後までお世話になりっぱなしだった。

 

アルバイトを育てていく上で何が大切かと聞かれたら、私は恥ずかしげもなくと答える。

 

どれだけ愛を持って接する事が出来るか、愛情を持って仕事を教えられるか、愛情を持って注意ができるか。

 

全ては愛である。

 

この考えは講演家の鴨頭嘉人さんが以前動画で言っていたのを見て、私も愛の大切さに気付くことができた。

 

マザー・テレサが「愛の反対は憎しみではなく無関心」と言っていたが、その言葉の意味が少しずつ分かってきたと思う。

 

相手を褒め、相手を認めてあげる。間違ったことをすれば愛を持って注意をする。

きちんと愛情を持って接すればそれは相手にはきちんと伝わる。

伝わらずに辞めていくアルバイトもいたが、それはそれでしょうがないと割り切る。ここで大事なのは偉そうに相手を変えようなんて勘違いしてはいけないという事なのだから。

 

そして、無関心は悪である。

教えた仕事ができても褒めない。間違ったことをしても注意もしない。髪型、メイク、服装、が変わっても気付かない所か見てもいない。そもそもコミュニケーションも取らない。

この状態で人は、仕事を頑張ろうとは思わない。と言うよりかは思えない。

 

以前何かの記事かネットで見た(聞いた)事があるが、部下が仕事に対してモチベーションが上がらない理由の1位は 上司が自分に関心がない事 と見た(聞いた)事がある。

(記憶が曖昧なので、間違っていたらすいません)

 

やはり無関心は悪なのである。

だからこそ愛情を持って接する事が大事なのである。そして愛は無償なのだから、与えても損をする事はない。伝わらなければ「そんなもんかぁ」と割り切って次に行けばいいのである。(これも講演家の鴨頭嘉人さんが動画内で言っていました)

 

そんな事を気付かせてくれたアルバイトの子達に感謝の気持ちでいっぱいである。

皆の顔を見れて本当に嬉しかった。

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頂いた花束

 

HSPと知ってから何が幸せかを見つけられた話

最近ではメディアで取り上げられる機会も増え、知っている方も多いと思う。

HSPというのは簡単に言うと、人より 繊細 な人の事をいう。

 

私は会社員として働いてきたが、ずっと自分は人とは違うと感じていた。

 

何が違うのか?。。。

 

簡単に言ってしまうと、ストレスを感じやすいという事。

人が多い場所や会議、一緒に働く人がイライラしている時、初対面の人と接する時等、書き出すときりがないが、周りの人からしたら何とも感じない場面でも私には凄くストレスになっていた。

 

私の仕事は飲食サービス業だったが、これはHSPの人にとっては向かない仕事なのではないかと今振り返ってみて思う。

 

接客業、月に1度の会議、定期的に行われる飲み会、どれをとってもHSPの人が疲れてしまう環境がここにある。

 

最近でこそHSPという言葉が広く知られるようになったので、これを自覚する人も増えてきたはずだ。

私もその中の1人で、HSPという事を知ってから、自分はそういう性格ではなくて性質なのだと割り切る事が出来た。

 

これまでは内向的な性格と周りや上司から捉えられ、克服するように言われたり、嫌味を言われる事もあった。

 

しかし、この言葉を知ってからかなり気が楽になり、生きて行く事にも少し楽な気持ちになれた。

 

意外と思われるかもしれないが、私がそれを一番実感する時は休みの日である。

今迄は休みの日は、どこか出掛けなくてはと常に思っていた。

1日中家に居るなんてだらしない。

と勝手に自分で自分の行動を決めつけていたからである。

 

しかし、HSPだと知り徐々に私もそういう人間もいるのだと胸を張れるようになってからは休みの日に出掛けなくてはいけないという考えが完全に消えた。

 

いつも仕事で昼頃に出勤し、帰ってくるのは午前2時を過ぎる。仕事は常に立ち仕事で休憩がない時も多々ある。接客もし、アルバイトの子にも常に指示を出しながら働く。

休日出勤する事もある。

 

この状態で休みの日も、人がいる場所に出かけたり、飲みに行く約束もしていたら、精神的に休まる時間等ない。

もちろんHSPの人でも、アウトドアの方もたくさんいるし、人と接する事にストレスを感じない人もたくさんいる。

しかし、私は自分がHSP診断をして非常に強いHSPの可能性があると判定されて以来、休日は用事がなければ基本的に外出しない様になった。そうしてから休日にストレスを感じる事は全くなくなった。

 

家に居ると言っても、家の中で自分のやりたい事をやっているのでとても幸せなのである。朝起きてゆっくりと新聞を読み、好きな本を読み、Twitterを見たり、YouTubeをみたり録画したテレビを見たりする。それらの時間を過ごしている時こそ私は心の底から幸せだと感じた。

今迄には感じた事もなかった気持ちだった。

 

 

余計なものを削ぎ落せば楽に生きれるのかもしれない と言うのを人生の折り返し地点を過ぎてから気付いた。

 

生きづらいと思っている人はHSP診断をおすすめする。

ウーバーイーツ初体験記録

9月27日。私は初めてウーバーイーツを利用した。

 

以前からアプリはダウンロードしていたのだが、私の住んでいる地域はエリア対象外となっていた為この時期になった。

 

私がウーバーイーツに登録したのは5か月前の4月だった。コロナウイルスの影響で休業期間中の事だった。約3か月間の休業期間で仕事が休みだった為、試しに注文してみようと思い登録したのだが、結局注文できずにアプリも削除してしまった。

それから時間が経ち、どの飲食店も宅配に力を入れている。ウーバーイーツの配達員も街でよく見かけるようになり、そろそろ私が住んでいるエリアも対象になったのではないかと思いまずはネットで検索してみた。

ネットで検索した結果、対象エリアになっていたので改めてアプリをダウンロードしてみた。

 

そして初回のご注文の方限定の1,500円offのクーポンが配信されていた。期限が9月28日迄だったのに気づき、慌てて今日注文してみたのだった。

 

アプリを開きながらどれにしようかテンションが若干上がり気味で検索しながら普段頼まないやつを注文しようと思った。

 

せっかくなら1,500円ぎりぎり超える位の値段の物にしようと思い色々探してみた。

 

寿司も良いけどわざわざ配達で注文するなら回転寿司に行った方が良いなと思い、定食を出しているお店のメニューもどれも美味しそうだが定食で1,500円は中々いかない。サイドメニューを頼めば行くのだがそんなに食べれないし。。。ファミレスも同様に。

これを機にインド料理やタイ料理も見てみたがいきなりそんな冒険はできず。。。

結局すた丼にすることにした。

 

すた丼こそいつでも食えるやんと自分にツッコミつつ、やっぱり優柔不断だなと思いながら注文を完了するのであった。

 

18時前に注文したからなのか、まだ混んでいないらしく配達員の方は20分もしない内に雨と雷が鳴る中届けてきてくれた。なんとも便利な世の中である。

 

そんな温かい状態で持ってきてくれたすた丼を私は早速食べる事にした。

 

ちなみに今回注文したのは「大とろホルモン”アホ盛り”焼肉丼」¥1,540

ここにサービス料¥154 配送手数料¥150 小計1,844 値引き1,500 合計¥344

で注文する事が出来た。

実に安く注文する事ができた。

 

ホルモンが好きな私には大満足な内容だった。最初は食べきれるか不安だったが、以外にもあっさり完食でき温泉卵もついていたのでペロリと食べる事ができた。

 

今回は初回1,500円値引きのクーポンがあったので注文してみたが、普段食費を節約している私にとっては宅配は高いのでおそらく次回注文する事はないと思う。

ウーバーイーツがどうのではなく、1回の食事代に¥500以上はかけたくないと思うのとカロリーが凄くてこの生活に慣れたら一瞬で太るなと感じた。

以前ローランドが人生で初めて牛丼を食べるというネットを見たのだが、私は感想よりもその時本人が「逆に売れない時期って牛丼ってちょっと高い」と言っていたのが印象的だった。

これは私も今凄く節約しているのでとてもわかる。ファミレスもマックも吉野家もやはり外食するという事は高いのだなと感じる。

 

そんな私の夜ご飯はいつもご飯に玉子いれて納豆いれて豆腐をいれたご飯である。たまにささみも茹でて食べる。味付けはない。

そもそも食べる事自体は好きなのだが、家に帰って料理をする事は出来るだけしたくないのと、ふと気づいたのが大半の物は美味しく食べれる舌をもっているな自分は。という事である。なのでお金を節約したいというのもあり、この食生活にたどり着いた。

普段のご飯はお腹を満たせればそれで良いという感じだ。

 

なので、今回のウーバーイーツ初体験は私にとって凄く贅沢だったのである。

 

そう思いつつ、お友達紹介クーポンを見ながら誰に紹介して1,200円offクーポンを貰おうか考えながら布団につくのであった。

 

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大とろホルモン”アホ盛り”焼肉丼

 

夢占いに頼るアラサー独身男子

変な夢を見た。

 

ここ2日間寝起きも寝つきも悪い。

昨日は眠いのに寝つきが悪かった。

今日は寝つきは悪くなかったが、寝起きが悪かった。

 

どちらにも共通しているのが、眠いのに脳が凄くはっきりしているという事だった。

体は疲れていて休みたいのに、脳がそれを許してくれないような状態。

 

こういう時の原因はわかる。だてに30年も生きていない。

と言ってもこれがわかるようになったのは最近の話だけど。

 

ストレスだ。

 

完全にストレスが原因で寝つきも悪くなり、睡眠状態も悪くなり、寝起きも悪くなり、そのまま寝れない事がたまにある。

 

ストレスの原因も自分でわかっている。

 

私は9月で退職するのだが、辞めるとなった今、今迄ずっと色々な事を我慢して働いてきたものが、退職という事態が起きる事により、責任と言う今迄支えていたダムが決壊し、完全に仕事したくないどころか職場にすら行きたくないという 負のエネルギー が溢れてきて精神的にぐちゃぐちゃな状態になっているのである。

 

毎日毎日、職場の駐車場(車通勤)に着いてから職場迄の間「行きたくない行きたくない」と早口言葉で頭の中で言い続け職場に向かうのである。

 

そんな毎日を過ごしているので、睡眠にも影響が出るようになってしまったのである。

 

ただ、私が見た夢が何とも気持ち悪く、意味の分からない夢だったので、私は夢占いをネットで見てみる事にした。

 

ちなみに見た夢とは、駅構内でゴキブリが大量(と言う程でもないが5~10匹位)出てきてそれを潰す夢である。

全く意味が分からなかったけど、何かピンと来たので夢占いをネットで検索してみた。

 

「夢占い ゴキブリ」。。。

 

という感じで。

 

結果、まずはゴキブリの夢は5つの象徴を表しているらしい。

嫌悪するもの、コンプレックス、慌ただしさ、生命力、性的欲求

 

さらに大きさも関係してくるらしく、私が見たのは大きいとも言えないが小さいわけでもない。何とも言えないサイズだったのだが、小さいゴキブリは以外にも吉夢らしく先を読んでみると「仕事面で利益が得られることや、業績が伸びる事も」と書いてあったが、これは退職するし今迄何一つ会社から評価されなかったのに最後の最後で評価される事はまずないので、大きいという事にして先を読んでみた。

 

大きいゴキブリ。。。

不快感の高まりを暗示しています。煩わしい問題に振り回され、精神的に参ってしまっているのかも。と書かれていた。

精神的に参っている。。。当たっている。。。

 

しかし、ゴキブリを駆除する夢は、近い将来、不都合に感じている問題が解決に向かう事を暗示しています。あるいはコンプレックスの克服に成功する事を意味している。

 

めっちゃ良い夢じゃん!!と思い、他のサイトも見てみる事に。。。

 

そうしたら、ゴキブリが出てきた場所も関係すると書かれたサイトを見つけた。

それによると、夢に現れた駅は人生の節目を表す。駅にゴキブリが出た夢の場合は、あなたの持つコンプレックスが邪魔して人生の一区切りを上手に乗り越える事が出来ない。と書かれていた。

 

いや、良い夢か悪い夢かどっちやねん。と思わず突っ込んでしまう程矛盾している内容だった。

 

結果私は、退職する事もあり環境も変わるので、ストレスは無くなり、明るい未来が待っている!でも、謙虚な姿勢と新しい事への挑戦を心がけよう!

と自分にとって都合よく解釈し、今日はもう布団に入って寝るのであった。

何故大人になってから映画を早送りして見るようになったのか?

昔は映画を見る際は、早送りをして見るという事はなかった。

 

と言うよりは、早送りしてみる事に罪悪感があり、作り手の人達に失礼というか、最初から最後までをきちんと見て1つの映画を見た事になる、とかっこつけた考えを持っていた。

単純に早送りをしてはいけないな という気持ちがあった。

 

しかし、今の私は家でamazonプライムで映画を見る時などは1本の映画に対して必ず1回以上は早送りをする。

 

最初はこの見方に罪悪感があった。

これで映画を見ていると言えるのか?と。

 

しかし、ふと思った。

そもそも早送りせず映画を見た時はその映画をきちんと理解したと言えるのか、と。 

 

答えはNOだった。

 

ここ最近迄映画を見る時はなるべく早送りしない様にという気持ちで見始めるのだが、結局途中で早送りしてしまう。

 

 理由はなんだろうと考えたが2つ思い浮かんだ。

 

  1. 時間が無い。
  2. つまらないから。

以上。

 

こうやって考えてみたが何の大した理由もなかった。

 

単純に時間がない!でも映画は見たい!だからつまらないシーンは早送りする!

というだけである。

時間がある時でもつまらない映画の時には早送りしてしまう。

 

これだけの理由だった。

実際、これを意識した時に映画を何本か見てみたけど面白い映画の時は早送りをする回数が減っていた。むしろ1回も早送りしないで見れる映画もあった。

 

 そもそも面白い映画とは何なのか?

映画を見る感覚は本を読む感覚に似ているのではないかな~とふと思った。感覚。

 

本を読む前は、書店やネットで面白そう!とか今自分はこういった経験をしていてこういった知識が書かれている本を読みたいとか、筆者の人が好きだから新刊が出たから買って読もう等の理由があると思う。

映画もこれに似ていると思う。CMで見たこの映画が面白そうとか、自分はアクション映画が好きだからおすすめのアクション映画を見ようとか、この監督、役者が好きだから新しく公開された映画を見ようとか。

 

本を読む時と映画を見る時の違いは、本は自ら意識しないと先(次のページ)に進まないという事。映画は何もしなくても停止ボタンを押さない限りはストーリーが勝手に進んでいくという事。

 

でも、読書家の方に聞いたら本を読み始める前に目次をよく読むと言っていた。

興味がない、もしくは今自分が欲している知識がそこには書かれていない、もしくはかけ離れているなと思うページに関しては読まないと言っていた。

興味がないページは飛ばすのである。

 

。。。これは映画と同じではないのか?

 

と私は思った。

 

結局は自分とその映画との関係なので、興味がない部分は早送りしてもいいのだと私は感じた。

 

お金を払って見る以上、それはその人の時間なのだから。

 

 

国によっては、つまらない映画の時ほど観客の私語が騒がしくなると聞いた事もある。

 

それはある意味映画に対して正直なのではないかなと、この記事を書いていて感じた。

 

 

そして私は今日もamazonプライムで映画を早送りして見ている。