月400時間働いて私が得たもの

私は2014年8月に初めて飲食店の店長になった。当時27歳。イケイケである。

27歳で一国一城の主になってしまったのである。

席数88席、従業員数(アルバイト)5人のオープン当初から人手不足で他店からヘルプを借りなければ営業できないお店であった。

 

当時私が住んでいたのは府中で勤務地は広尾(六本木の隣の駅)車で片道1時間30分~2時間かかる。

今思えば初めての店長として働くには条件が良いとは言えない。むしろかなり悪い。

と言うより会社側としては新人店長に絶対にやらせてはいけないようなお店である。

 

店長としての異動を打診された時、これを断ったらチャンスを棒にふるようなものだと思い「私で良ければ宜しくお願いします」と言ってしまったのだ。

 

この後経験する地獄をこの時の私は知る由もない。。。

 

真面目な人程うつになりやすい

この言葉を聞いた時に本当にその通りだと思った。

真面目な人は逃げる事をしないからである。

 

何かあれば自分がもっとこうしていれば、と考えてしまう為気付けば全てを背負い込んでしまう。そして気付かない内に背中に抱えきれない程のプレッシャーや仕事や人間関係を抱えこんでしまい、それでも走ろうとする為、気付いた時には立つ事すらも出来なくなってしまう。

 

私も、振り返ると人件費をもっと抑えなきゃと明らかに人が足りていない状態で営業したり、少しでも売上高を上げる為にラストオーダーの時間を延ばしたり、無理をして自分の時間を削ってお店に捧げてしまった。

 

通勤時間も約2時間かかった為、いつしか私は店で寝泊りするようになっていった。

寝袋を買い、シャンプー、ボディソープを買い、バスタオルは更衣室に干し、夜中にキッチンで頭を洗い、体を洗い、そして店の席で寝る。ご飯はコンビニ弁当。

 

そんな生活をしていたので、当然疲れが取れる訳もなく日に日に体力は疲弊していき精神的にも疲弊していった。

 

1度も店に来なかったエリアマネージャー

私はこのお店に3年間務めた。しかし、一度もエリアマネージャーは店には来なかった。

 

今でこそ、月に一度定期診断という形でマネージャーが店舗に来て店長と

面談をし、店内を見たり、営業風景を見たりして出来ていない項目を指摘頂いたりといった制度ができたので、最低でも月に1度はマネージャーと話す時間が必ずある。

 

しかし、その当時はそういった制度はできておらず、一度も私が働いている所を見てもらう事はなかった。

 

頑張っているのに褒めてもらえない所か、見に来てさえもくれない。

全て数字で判断される。

毎月売上目標に届かなく、赤字だった。

 

どんなに、団体の宴会を1人で回したり、アルバイトを全員23時にあげてそれ以降全ての片付けを1人でして気付いたら朝の6時になる迄働いても、結局 売上目標には届かなかった で全て終わってしまう。

 

今振り返ると空しいだけである。今なら絶対にそんな働き方はしないが、その当時の私はそれでも もっと頑張らなきゃもっと努力しなきゃ と本気で思っていた。

完全に病気である。

 

気付いたら3年の月日が流れていた

そんな過酷な日々が過ぎ、気付いたら私も30歳になっていた。気付けば3年。

 振り返ると。。。。正直ほとんど記憶がない。笑

それだけ初店長のお店で必死に働き、必死に店長として必要な数字を勉強し、アルバイトともうまくコミュニケーションが取れず辞めていくバイトもいたが(このお店はアルバイトが5名以下と人数が少ないにも関わらず派閥があったりと雰囲気はとてもよくなかった。途中からアルバイトを募集しても来ないので(六本木の隣の駅にありながら時給は1,100円、賄い無し、交通費無し、というのが会社の条件で、その条件で応募してくるアルバイト等1人もいなかった)週4日入れる固定の派遣のアルバイト2名(2名とも40歳過ぎの派遣アルバイト)と契約したがこの2名も問題児)、3年間必死に走り続けた。

 

2年半経ったくらいに社員が1名異動してきて初めて社員2名体制になった。(この社員も問題児)

しかし、その社員も退職(元々やる気が無いで有名)するという事で部長が話を聞きに店舗まで来た時の事である。

 

退職に関しての話だったので、なるべく自分は離れた場所で仕事をしていた。

そのついでに私とも話をしたのだが、その時の会話は今でも覚えている。

 

部長の一言で少しだけ目が覚める

「なんで引っ越さないの?」

 

そう部長に言われた。

 

会社から引っ越し資金等一切出ないにも関わらず、何でお店の近くに引っ越さないのかと言う訳である。

 

正直バカバカしいと思った。

そこで初めて我に返れた。どこまで会社の為に尽くしていると思っているんだと。

それなのに、自腹で引っ越せと。

この言葉があり、逆に冷静になれたのを今でも覚えている。

 

しかしこの後話は意外な流れになっていった。

 

この数日後、異動の打診があった。

部長が「はせ川が引っ越さないのは前いたエリアに未練があるから」という理由で以前いたエリアに戻そうという事になったのである。

 

意外な形で3年務めた店舗を異動する事になった。

 

月400時間働いて得たもの

私は初めて店長として働いたお店を3年間で異動する事になった。

振り返ってみると本当にしんどい期間だった。

 

そんだけしんどい思いをしたらさぞ得るものも大きいかと思いきや、実はそうでもない。というより、 得たものは何もない というのが答えだ。

 

自分がやりたい事をやって、夢の為に目標の為に、努力した時間、働いた時間ならば大いに成長と価値ある時間だったと思う。

しかし、私の働き方はあくまで 仕事上の業務 だった。

お客様を席にご案内し、オーダーを取り、ドリンクと料理を作り、提供し、お客様が帰ったら片付けをして、洗い物をし、次の日は朝から仕込み、を3年間やっていただけなのである。

月平均300時間労働だとするとそれを3年間(36か月)なので10,800時間を業務にひたすら充てていただけなのである。

 

それでは何も得るものはない。あったとしてもごく小さいものだろう。

それならばその10,800時間を読書や、自己研鑽に充てれば大いなる成長があったに違いない。

 

これが私の結論である。

 

そんな私も8年務めたこの会社を退職する。

次の転職先は残業なし、有給消化100%、年末年始休みの 自分の時間を確保できる 職場である。

年収は下がるが私は 自分の命の時間を大切にする という自分の中でのルールができたのでこれに則って次の職場で明るく働きたいと思う。

 

そう思えたのはこの3年間があったからに他ならない。