環境って大事。人生が変わってしまうから。

海外の校長先生が来日して日本の小学校を視察するというテレビ番組があった。その際に小学校で行われてるマラソン大会の順位付けについてのフィンランドの小学校の校長先生が

「がっかりですね。」

と言った後に、その理由として

「運動はそもそも良いものなのに子供たちを競わせることで運動が得意じゃない子はビリと言う烙印を押されてしまいます。それでもう運動はやりたくないと思うようになるのではありませんか?」

 

こういった動画がツイッターリツイートされてきた。

 

私は運動が得意な方だったので、子供の頃にこれについて深く考えた事はなかった。

しかし、違う分野での出来事を私は自分の経験に重ね合わせて思い出した。

 

それは勉強である。

 

私は子供の頃から勉強が苦手だった。

どの教科が、とかではなく勉強全般が苦手であった。

 

しかし、大人になった今は物凄く勉強したいという欲が出ている。

時間とお金があれば、大学にも行ってみたかった。

 

では、勉強が苦手なのは何かきっかけがあったのか?

 

これを考えた時に私は真っ先に頭に出てきた記憶がある。

それは小学生の時に通っていた塾での話。

 

算数を習っていたのだが、その先生は短髪で,はきはきと喋る先生だった。

先生1人に対して生徒2人もしくは3人という環境だった。授業内容はマンツーマンなので、やっている授業内容は生徒それぞれで異なる。

教科によって先生が違うのだが、国語はまた別の先生だった。(この先生は大学生だったのだが、正直そんなに頭が良くなく、先生がトイレに行っている間に勝手に答案用紙を見た事があったのだが、結構答えを間違えていた事が何回もあった。算数の先生とは違い優しかったので、嫌いではなかった。)

 

アパートの1室で畳の上に勉強机と言う何とも違和感のある塾だったのだが、私は小学校6年生の時に一緒に受けていたのは中学生の女の子2人(ギャル)の3人で授業を受けていた。

女子生徒2人は友達だった為、授業中はだいたいうるさかった。

 

そして、私は算数の先生によく怒られていた。

理由は 答え をよく間違えるから。

 

特に今でも記憶にあるのは、その塾が潰れるという事で最後の授業になったのだが、最後に一つ問題を解いて終わろうという事になり、問題を解く前に「頼むからこれは正解してくれよ!」と言われ、めちゃくちゃプレッシャーをかけられた。

その問題は公式を使って解き、最後はA、Bに書かれている答えの数字どちらかに〇を付けるという答えが2択になっている問題だった。

がちがちにプレッシャーをかけられた私は最後の問題も見事に間違えた。

そして怒られる。

「なんでこの問題がわからないんだよ!頼むよ!なんで間違えるんだよ!」

 

今の私ならこう突っ込むだろう。

「間違えてわからない部分を教えてあげるのがあなたの仕事だよ」と。

 

そういった事もありその辺りから私はどんどん勉強が苦手になっていった。

中学では勉強を頑張ろうと思っても、何をどう勉強するのかがわからない。

 

一度中学1年生の時に歴史の授業で酷い点数を叩き出し、授業後先生に廊下に呼ばれ「どうしたんだ?何かあったのか?」と言葉をかけて頂いたが、

「何を勉強すればいいかわかりませんでした」

と正直に言った記憶がある。

 

そう、小学校でつまずいてしまっていた私は、中学ではやり直せると思っていたが、小学校の勉強でつまずいた私は中学でも勉強に苦手意識が先行し、完全に挫折してしまった。

 

そしてもっと最悪な授業もあった。

それは数学の授業で、割りばしに数字が書かれており、それを問題ごとに先生が引く。割りばしの番号に書かれた出席番号の生徒が答えを発表するというものであった。

その授業は恐怖でしかなかった。

間違えたら笑われる。答えられなかったら裏で皆にばかにされる。

そんな事しか頭になく、正直問題は二の次だった。

 

近くの頭の良い生徒に答えを聞いたり、必死に教えてもらったり。

問題を解く迄の過程が大事なのに、私が欲しいのは答えだけだった。

 

今思うと勉強とは何なのか と思ってしまうのだけれど、当時の私はそこから完全に勉強が嫌いになり、自分は勉強が出来なくて頭が悪いと無意識の内に自分に言い聞かせていた。

 

そうして育っていった私は今でも勉強に対して、大学に行っていない事に対して劣等感がある。

 

大人になった今思う事は、子供は環境を選べない。

学校も、先生も、家庭環境も。

子供の頃の環境はとても大事である。子供に限らず大人の私達でも環境はとても大事である。環境によって人生が変わってしまうからだ。

 

幼少期に受ける影響は特に成人してからも色濃く自分の中に残り続ける。

 

もし私が違った環境で育っていたら、今の自分は違う人生を歩んでいるかもしれない。

というより歩んでいるだろう。

 

今でも私がもし子供に戻ったら何をするかと聞かれたら、真っ先に勉強と答える。

心の底からそう思う。

私にはまだまだ知らない事がたくさんあり、世界の過去の歴史はもちろん、日本の歴史さえ理解していない。

これらの知識が増えたら、きっと考え方なども変化するのだろうと思う。

 

最近SNSを見ていると、今迄の学校のルールや、コロナ禍がきっかけによる働き方の変化や社会の変化、会社のルール等が見直されている。

 

いつまでも昔のやり方が10年以上も適用できる世の中ではないのだなと日々実感する。

 

私は学校という集団の中では、勉強が1人取り残されるのはある意味では仕方のない事だと思う。

先生1人に対して、何十人の生徒を見なければいけない。

遅れている生徒に合わせていたら全体が滞ってしまう。

だからといって、毎回放課後に勉強を教えるのかというとそれも先生の負担が大きすぎる。

出来ない部分は学校以外の部分で補うしかない。

 

私は飲食店で店長をやっていたのでわかるのだが、接し方ひとつで大袈裟かもしれないが、その子の人生を変えてしまう事もある。

 

だからこそ、塾などの子供と接する場では先生は愛を持って接してほしい。

 

以前アルバイトの面接に来た大学生で、塾講師のアルバイトを掛け持ちでしている子が来た。その子は、面接の場でも私の正面に座らない。(壁によりかかって面接を受ける)

掛け持ち先のアルバイトの話を聞いただけなのにいきなり「ブラックなんですよねー」と言い始め、理由を聞いたら授業が終わった後に講師の方々は反省会があるとの事。それが面倒臭いらしくブラックと言っていた。(もちろんその時間も給料は発生する)

他にも色々と聞いてもいないのに、その子は愚痴を言い始めた。聞いていたら、要するに面倒くさいという事ねっていうレベルの話ばかりであった。

 

その子は、今いるアルバイトの紹介で来たのだが私は不採用にした。

その後電話で不採用の件を伝えると、これまたぶつぶつと文句を言い(もちろん直接不採用の理由は言わず、希望のシフトに入れない等伝え、相手が不快な思いをしない様注意を払って伝えた)、が

「ああ、そうですか はーい」

と言って切られた。

紹介してくれた人に対して何も思わないのかと思いながら私は受話器を置いた。

 

何が言いたいのかと言うと、そんな人には塾講師などしてほしくもないのだが、そんな人がやっているのも現実だ。

 

だからこそ、怖いのである。

自分の影響力を考えていない人間が若い子に接するという事が。

ましてや、その場において自動的に上下関係が出来てしまうような環境では特に。

 

本当は勉強ができるのに、様々な理由で苦手意識を持ってしまいそのまま社会に出てしまう人は多いと思う。

 

そんな人が一人でもいなくなる世の中になってほしい。

自分の事をできないと決めつけずに。