私は会社の飲み会が大嫌いだ。
「飲むのも仕事の内だよ!」
私の以前の上司は他の社員に向けて電話でこう言っていたのを今でも私は覚えている。
可愛そうだな。。。。その時は内心そう思っていた。(結局その飲み会は私も参加するものだったので、行きたくないよな~そりゃとぼんやり思っていた。あまり深く考えず)
20代の私
20代の私は、飲み会が嫌いだった。理由はつまらないから。
会議後に絶対と言っていい確率で飲み会を行うのだが、他の社員は皆参加したがらない。参加せず仕事に戻る。理由はつまらないから。
それもそのはず。私が入社して1年位の会社の飲み会は部長やマネージャー、酒癖の悪い社員が取っ組み合いの喧嘩や言い争いの喧嘩等、毎回飲み会の次の日には噂でいい話を聞かない。
そんなものに自分の時間とお金をかけて参加するはずがない。
だから私は会社の飲み会が嫌いだった。
なるべく参加しなくていいように、シフトを調整し、会議の日は戻って仕事をするようなスケジュールにしていた。
最近の会社の飲み会の様子
私が入社した時の飲み会は上司同士で喧嘩等が頻繁に行われていたと先に書いたが、8年経った最近の飲み会はどうなのかと言うと。。。
喧嘩こそほぼなくなり、そういった飲み会ではなくなったらしい。
ただ。。。
2次会がだいたいカラオケになりそこでメドレーを入れる。順番にマイクを回していき歌えなかった人がウイスキーストレート一気飲みという飲み会である。
飲み方が若くなり、まるでお酒を呑み始めたばかりのヤンチャな人達の飲み方である。
33歳の私の飲み会に対する気持ちの変化
そんな私も33歳になった。
飲み会に対してどう思うようになったのかというと、さらに大嫌いになった。
大嫌いになったので、飲み会をことごとく平気で「行きません」とはっきり断る人間になった。「行けないです」ではなく「行きません」とはっきり。
そのお陰もあり今ではすっかり「はせ川さんは飲み会に参加しない人」と周りの人間が認識してくれるようになり、誘われる回数もかなり減った。
飲み会に参加する弊害とは
私がなぜそこまで飲み会が嫌いなのか。
それは単純に自分の時間を奪われるからである。
それも自分の好きでもないものに 時間とお金 を奪われるからである。
その対価として得られるものは ストレス である。
その事実に気付いてしまった時に行くのが本当にバカバカしくなりこれからは絶対に参加しないと決めた。
飲み会に行く意味とは?
私の会社で飲み会に参加すべきだと言う人からはこのような言葉が聞こえてくる。
「横の繋がりが大事」
私は飲食店に勤務しているが、普段他店の社員同士とは電話で話す事はあっても、直接会ったりというのは月に1回の会議位である。
その為、せっかくならその後に飲みに行って親睦を深めようという事なのである。
それ自体の考え方は好きである。
普段店長は本部からも数字を求められ、お店の管理もしなくてはならない。
以外にも孤独な仕事なのである。
だから、たまに会った時は話が盛り上がったり、やっぱり顔を見ると嬉しかったりするものである。
それ自体は私は否定する気は一切ない。
しかし、飲み会に参加したくないという人まで強制するのはどうなのか、という事なのである。
以前ビジネス系ユーチューバーのマコナリ社長が、
実は気付いていないパワハラ発言TOP5という動画を上げていた。
その動画内の第5位が「上司から部下に対しての飲みに行くぞ」であった。
全くもって同感。
当たり前のように飲みに行くぞ!と言ってくる人は相手の立場や予定、心情等を全く考えていない人間だと私は思う。
「飲みにケーション」という言葉が少し前に流行った。
「今の若い子は誘っても飲みに行かない」等、最近の若い子は上司からの飲みの誘いを平気で断る。という話も一時期はよく聞いたものである。
私はこういった記事に対して思う事は
そりゃ行かねえだろ。
である。
そりゃあ行きたくもない飲み会に何故参加しなければ行けないのか。
自分の時間を大切にして何がいけないのか。
飲み会に参加しないと仕事をする上で気まずくなるのか。
私は年齢的には管理職であり、部下を持つ歳でもあるし、実際に部下を持っている。
ただ一度たりとも私から飲みに誘った事はない。
飲みにケーション
この言葉を聞いて思う事は、
酒飲まなきゃコミュニケーションとれないの?
である。
だとしたら問題じゃんと。どうやって仕事をしてたのか、と疑問に思う。
むしろ私の考えは、仕事が終わったら自分の人生の時間。
その人生の時間にその人が何をしようが、他人に決められる責任の範囲ではないという事だ。
自分の人生の時間に、趣味をしようが、本を読んで自己研鑽しようが、大切な人とゆっくり過ごそうが、それは個人の自由である。
そうした自分の人生の時間が相手によって侵害されてしまったら、仕事にも身が入らなくなる。
プライベートが充実してこその仕事なのである。
多くの人が逆に考えている。
だから私は仕事が終わったら、周りが冷たい目で見ようが、陰で飲み会に参加しない私の悪口を言っていようが、私は気にしない。
それが何より自分の時間を大切にしているという事だ。
だから私は会社の飲み会が大嫌いである。
終わったからと言って全てを無かった事にはできないよ。
2018年8月に私は上司から「立て直してほしい店舗がある」という依頼のもと、ある店舗に異動を命じられました。
会社の中ではそれなりに実績もあり、店長としても4年という経験、勤務態度も評価されていたからこそ赤字店舗を黒字化してほしいという依頼でした。
こういった書き方をすると聞こえは良いですが、実際はその話は何度か断っていました。
何故なら
噂が広まって誰でも知っているような酷い店舗だったからです。
チェーンの居酒屋で働いた事のある人ならわかりますが、他の業種に比べてやる気のない社員、どうしうもない社員が一定数います。そして、このやる気のない店長のお店は当然酷い状態になっていきます。
私が異動を命じられた店舗はその中でも格段に酷い店舗でした。
まずは店が汚い。ゴキブリが大量に沸いている。月に1回は本社クレームを貰っている。料理はメニューブックに載っている写真とは程遠く、レシピを遵守されていない。アルバイトはおしゃべりに夢中でお客様は二の次。
言い出したらきりがありません。
そんな想像すると吐き気もするような酷い店舗にマネージャーから何度となく異動の話しをされ、遂には私が折れて異動する事に決めました。
異動当日
異動する際は現店長、新店長、マネージャーの3人で書類を確認しながらの引継ぎを
行っていくのですがここで事件が起きます。
お店に保管してある鍵の本数が合わない(たりない)。書類もたりない。そもそもシフト自体が適当に作られているので、引継ぎと伝えているにも関わらず、お店が忙しくなり店長が営業に入ってしまい1時間以上私とマネージャーが待たされるという始末。
最終的にお客様がいるのにも関わらず酷過ぎてマネージャーが怒鳴るという結末に。
当時をアルバイトと振り返っ時に「あの時は本当にはせ川さんがかわいそうだった」という位悲惨なスタートです。
内部からみたお店の状態
そんなカオスな状態から私の異動初日は始まりました。
酷いと言っても、いつまでも愚痴を言っている訳にはいきません。私に命じられた課題は立て直しです。急いで取り掛からなければいけません。
まずはお店の現状を分析していきます。最初は第三者の目線で店内、スタッフ、お客様を見れるので、この最初に感じた事がとても大事になってきます。
まずは店内の汚さです。そもそも掃除機も壊れていたので、掃除機がけも行っていなかったのでしょう。客席においてある荷物置きはボロボロでとても自分の荷物を入れようとは思えない物でした。テーブルは汚く、お箸や取り皿等も適当に置かれておりマニュアルとは程遠い酷い状態です。
キッチンから出てくる料理は盛り付けも量も、適当。味も作る人間によってばらつきがあり、よく月1回の本社クレームで済んでいたなというレベルです。
必死に改善していく日々
そんな状態から私はお店を立て直す為にお昼の12時から午前3時迄1日15時間以上毎日働き続けました。休みの日も出勤して。
そしてどんどん改善に着手していきます。
アルバイトと1対1の面談を行い、
今のお店の現状(赤字額はその年で累計100万を超えている)
このままこの状態でいくとどうなるのか(このまま改善しないと閉店になる)
周りの店舗からどう見られているか(バイトも酷いと他の店舗に噂が回っている)
そのような状態なので店長が変わったから安心という事ではないとはっきりと伝えました。あなた達も変わって下さいと。
また、売上に対してアルバイトの在籍人数がかなり居たので他にアルバイトを探す様に伝えました(前任が何の計画性も立てずに採用ばかり行ったので20人以上もいました。平均売上から見る適正在籍人数は8人です)
今の自分たちの現状を理解してもらう為にしょっぱなから厳しい事を伝えました。
店長だけの責任ではない事。あなた達にも少なからず責任はあると。
毎日その日シフトに入っているアルバイトと面談をしながらも同時進行で他の業務も行っていきます。掃除。アルバイトの再教育。人員の削減。(何人かクビにしました)
人数が多いため、連絡ノートを作成し共有。等々とにかく奮闘しました。
努力のかいあって黒字化に成功
そんな慌ただしい毎日も気付けば5か月が過ぎました。
そして繁忙月という事もありますが、見事黒字化に成功!
その月の利益は70万出す事が出来ました。
これはとても嬉しかったのを覚えています。
そして、アルバイトの子達と一緒に働く上で感じた事は、皆環境によって悪い方向に流れてしまったのだという事です。
酷いと噂だったので、それなりに覚悟を決めて毎日再教育するつもりでいきましたが働いていく中でそれぞれのポテンシャルはもの凄く高かったのです。
正直他のどの店舗よりもポテンシャルが高かったのを今でも覚えています。
人は環境によって良くも悪くもなるという事を実体験を通して再認識する事ができました。
閉店の通達
利益を出した12月から遡る事1か月前。
11月にマネージャーが店舗を訪れました。その時にはお店の状態も雰囲気もだいぶ良いものになってきていたので、マネージャーも良くなったと褒めていました。
「少し同業他社を見て回ろうか」とマネージャーから声をかけられ、一緒に外を歩く事に致しました。
「12月で閉店が決まりました」
いきなりです。
立て直しの為に日々奮闘する私にいきなり強烈な言葉が耳から入ってきました。
結果から見ると12月こそ利益は出ましたが、異動した8月から11月迄ずっと赤字続き。
本部もこれ以上はという事で決断を下したのでしょう。
こうして翌年1月6日に閉店となりました。
私の奮闘の日々はあっさりと幕を閉じてしまいました。
その後
たまに私が働いているお店に飲みに来てくれる子もいます。
そんな中で「はせ川さんのみに行きましょうよ!卒業してからの方が俺たち元バイトは強く繋がっているんですよ!それははせ川さんのおかげです!」
と言って頂ける事がありました。
それは本当に嬉しく、頑張った甲斐があったと感じる瞬間でもあります。
しかし、それと同時に何だかもやもやとした気持ちが残るのも正直な気持ちでした。
飲み会に参加するメンバーを聞いて、はじめは私も参加と伝えていたのですが、毎日毎日寝る前に考えるようになりました。ついには考え過ぎて寝れなくなる日が続きました。
この気持ちはなんなのだろうと常に仕事中も自問自答する毎日が続きます。
そして結局飲み会は断る事にしました。
気持ちの正体
私は来る日も来る日もこのもやもやは何なのだろうと考えましたがおそらく
頑張ったバイトはもちろんいる。でも、結局最後まで変わらなかった、変わろうともしなかったバイトもいる。
この変わろうとしなかったバイトが許せなかったのだと思います。
私を誘ってきたバイトは「はせ川さんのおかげです。俺ら皆感謝してます」と伝えてきましたが、そこなんです。
皆は頑張っていないんです。頑張っていないメンバーもあの時は。。。と一緒になってお酒を呑む事が私には許せなかったのです。
アルバイトにも危機感を持たせ、一緒になって変わってくれた、お店の為に頑張ってくれた、お店の為に努力してくれた。
でも皆ではないんです。
それを私と私の指示を聞いてくれて頑張ってくれた子と同じフィールドで来ないで欲しかったのです。
私にはそれがどうしても許す事が出来なかったのです。飲みに来るメンバーの中には最後の最後でクビにしたメンバーもいました。
そんな子達と「あの時は大変だったよね!」と笑ってお酒を呑む事は私はしたくないと思ってしまったのです。
器が小さい人間だと自分でも思いました。
せっかく誘ってくれたんだから、笑って一緒にお酒が飲めれば幸せじゃんとおそらく大半の人が思うでしょう。
でも、それをしてしまったら頑張った自分の日々を否定してしまうような気がして嫌だったのです。
これがもやもやの正体でした。
今感じる事は断って良かったと心から思います。周りから何と言われようと。
終わったからと言って全てを無かった事にはできないよ。
必死に働いて、悩んで、考えて。ブロガーはせ川のプロフィール
はじめまして!はせ川といいます。これが初投稿になります。
今回は初めての投稿になるのでプロフィールを書いていきたいと思います。
これ迄の自分が生きてきた中で経験し、感じた事を発信していきたい
発信する事によって自分の思考の整理をしたい
そう思ったのがブロガーになろうと思ったきっかけです。
今日がその第一歩なので読みづらいブログかもしれませんが、これから勉強もしてたくさんの方に読んで頂けるブログにします。
嫌な事から逃げ続けた子供時代
小学校2年生の時に私は兄が入るというソフトボールクラブに ついで で入りました。決してスポーツがやりたい!とか思った訳ではありません。本当にただついていっただけという感じです。気付けば中学3年迄(中学3年間は野球部に所属)続ける事になりました。
そんな私はとにかく勉強が全然出来ずに頭の悪い子でした。
最初から全てを諦めていたので、高校も単純に 俺でも入れる一番頭の悪い高校 に進学します。(後々めちゃくちゃ後悔しますがこの辺はまたいつか書きます。)
高校3年間は部活には入らず、友達の紹介でバイトを始めるも面倒くさくなって3か月で辞めるという状態。。。その後は派遣の登録制のアルバイトをするも体力仕事で続かず2,3回バイトしてそれ以降は働かず。。。
そんなやる気も気力もない状態で高校3年間を無駄にしてからは映画が好きという理由だけで映画製作が学べる専門学校(3年制)に進学します。
しかし、ここも周りの本気度に圧倒され、勉強不足で授業についていけず。。。
だましだまし何とかやってギリギリ卒業はできました。
卒業後はフリーターになりました。
嫌な事から逃げ続けて目の前の楽な道を選んできた結果本当に中身が空っぽの10代を過ごしてしまいました。
初めての正社員
フリーター生活を3年過ごし気付けば24歳になっていました。
この時は早く就職したい、就職して1人暮らしをしたい、早く社会的に自立したいと強く思っていました。
そんな時に、アルバイトをしていた飲食店で副店長の方にやたら社員になる事を勧められました。最初は 飲食はブラックだから絶対に嫌だ! と強がっていた私も気持ちが折れ、当時の店長に「正社員になりたいです」と 伝えあっさりと正社員になるのでした。
当時を振り返ってみると、プライドの高かった私は自分から社員になりたいとは言えなかったので、あくまで 社員になる事を勧められている という「設定」が
欲しかったのだと思います。 俺はあくまで社員に誘われた人間 という、あくまで自分からは言ってませんよという気持ち、スタンスを取りたかったのだと思います。
また当時は就職活動もしていたので 何社も断られて、気持ち的にも自分を必要としてくれる人がいる事が嬉しかったのだと思います。
最初から全力疾走
そうした経緯があり、2012年11月から正社員として働き始めます。
しかし入社した時期が年末という事もあり、宴会がよく入り本当に忙しかったのを覚えています。家に帰ってもシャワーだけ浴びて店に戻り、仮眠をとって働き始める。そういった毎日でした。
じゃあ店長はもっと激務なの?と思った方!
いいえ。全く違います。
- 店長は何も教えてくれない。(むしろ仕事中寝てるかスマホいじってるか)そんな店長なのでバイトも教育されていないどころかてきとう。
- 配属されるのを知ってたのに制服も用意してもらえていない。第二ボタン迄外れているよれよれのめちゃめちゃ汚い制服を「とりあえずこれ着といて」と渡される。
- 1店舗に社員2人体制なので、店長が仕事をしない=全て自分に仕事がくる
上げるとキリがないですが、結局誰からも仕事を教えてもらえない状態で3か月が過ぎました。
気付けば念願の1人暮らし
そんなこんなで入社した翌年1月に本社から「東京で新規出店があるから長谷川君やってみない?」と電話が来ます。
色々と不安要素はあったのですが、 断ってはいけない と思い「自分で良ければ宜しくお願いします」と不安いっぱいの声で伝え、異動が決まりました。
地獄はまだまだこれから
先にも書いたように入社してから初めて配属された店舗でハードな経験をしましたが、地獄はまだまだこれからでした。笑
新規出店のハードさを甘く見ていました。笑
それなりに覚悟していきましたが、体力的にも精神的にもズタボロ。。。
人生で初めて血尿がでました。笑 (めちゃくちゃ痛かった)
そんな状態でもとにかく毎日必死に、がむしゃらに働きました。
月日は流れ そんな私も2020年11月で入社して8年が経とうとしています。
8年間務めた会社を退職するという決断
そんな8年間必死に真面目に働いてきた私も1つの決断をしました。
退職です。
正直初めての転職に不安もいっぱいです。
ただ未練は全くありません。
今迄は会社の為に、自分の事は二の次に回して生きてきましたが、それももう卒業しようと思います。
これからは自分の為にもっと時間を使いたいと思うようになりました。
気付けば今年で33歳になり、人生の折り返し地点を過ぎました。
何の為に生きているのか、このまま今の会社で働いて私は幸せになれるのか、そもそも自分にとっての幸せとはなんなのか、このまま働いたとして今の会社で定年迄働けるのか。。。いろいろ考えた末にようやく決断しました。
むしろ遅かった位です。思っていたのに行動に移せなかった自分の弱さでこの歳までずるずるときてしまいました。
これからをどう生きていくか
これから転職活動をしていくので、次の職がまだ決まっていない状態です。
決まり次第、このブログでも報告していきます。
簡略的に書きましたが、大まかな私のプロフィールでした!
これからは会社で経験した様々な体験を通して私が感じた事を書いていきます。
そして自分も自分の人生の事を忘れたくないと思いました。
今迄頑張ってきた自分の人生を、きちんと記録したいと。そういった意味でも自分の事を大切にしていきたいなと。
これを読んでくれた方と繋がっていける事を夢見て明日からも書き続けます!