感謝できるのは今しかない。

初めてはてなブログ今週のお題に参加する事に。

 

やはりブログを始めたからには誰かに読んでもらいたい。という気持ちが私にもあった。

始めた理由だけお伝えすると、「思考の整理」をしたいという気持ちからである。

 

毎日仕事で疲れて、何か疑問に思った事や、感じた事等を私は今迄素通りしてきた。

自分の感情というものともっときちんと向き合わなければいけないと思った。

そうしなければもっと歳をとった時に中身のない人間になってしまう。

自分の考えや想いを相手に自分の言葉で伝える事が出来ない大人になってしまう。

 

そう不安にかられたからである。

 

そして7つの記事を投稿して、ほんの少しだけ自分の思考を整理をした事によって自分は自己肯定感を高めたかったのだなと感じた。

もっと褒められたかったし、もっと周りに認めて欲しかったんだなと。

 

 

父方の祖母の話 

今回は私の祖父母の話をしたいと思う。

 

「おじいちゃん、おばあちゃん」というお題を目にした時に、頭の中で思い返すと真っ先にこの父方の祖父母との出来事が思い浮かんできた。

 

それだけ私の中での強烈な出来事として記憶に残っている事があった。

 

亭主関白だったであろう祖父母

私のおばあちゃんは優しかった印象が今でもある。

 

それに対しておじいちゃんは孫である私にこそ優しかったが、おそらく厳格な人だったのではないかなと今振り返ると思う。

 

私の親も亭主関白なのだが、まさに父はおじいちゃんの子なのだなと思える程に似ていた。考え方や、物事をはっきり言う所、あと口ではうまく言えないのだが雰囲気があった。恐い雰囲気が。

 

そんな雰囲気こそあったが、おじいちゃんもおばあちゃんも孫の私には本当に優しかった。たくさんおもちゃ等も買ってもらったし、小学校に入学する時は勉強机も買ってもらった。3つ離れた兄に比べて私は勉強もできない、泣き虫な子供だった。しかしそんな私の事もおじいちゃんとおばあちゃんは愛してくれた。

 

予定をつけて会わなくなっていく日々

おじいちゃんとおばあちゃんは1年に1回はうちの家に来てくれたり、逆に家族4人で当時板橋に住んでいたおじいちゃんおばあちゃんの家にお邪魔しに行くこともあった。

 

しかし、小学校高学年にもなってくると友達と遊ぶ方が楽しくなってくる。

 

おじいちゃんおばあちゃんが家に来る日でも私は外で友達と遊ぶようになっていった。

 

おじいちゃんと会えなくなった日

私が中学生になってからは、野球部に入りより休みの日は部活、部活が無い日は友達と遊ぶという感じでほとんど家にいる事が少なくなっていった。

それはおじいちゃんおばあちゃんが来る日でも変わらなかった。

 

しかし、前からおじいちゃんの体調が良くないとは聞いていた。

老人ホームに入っている事も知っていた。

 

しかし、私は会いに行くことを避けていた。

 

高校も頭の悪い高校。小学校2年生から始めた野球も中学で辞め、特にこれと言ってやりがいもなく生きていたからである。自分に自信が持てなかったのである。

 

そんな何か自慢できるものもない状態で自分が小さい頃から知っている人に会いたくなかったのである。

 

そんな避け続けていたある日、朝起きたら両親共に家にいなく、置手紙で「おじいちゃんが亡くなりました」とだけ残されていた。

 

おじいちゃんが最後まで言っていた事

お通夜の時に父親が泣く姿を見て、私は胸が締め付けられる思いだった。

自分も少しでも気を抜いてしまうと、涙が出てきそうだったので必死に考えないようにした。

 

そして告別式なども無事に終わり、しばらく経ったある日一周忌の時の食事の際に親戚の人が言っていたのだが、

「まこと(私の下の名前)は大丈夫か」と何回も最後の最後まで私の心配をしていたらしい。

親からも聞いていなかったので、ショックと嬉しい気持ちと、感情がごっちゃになった。でも、やっぱり嬉しい気持ちになり、何だか心が温まる感じがした。

 

愛されていると実感した時、やっぱり人間は嬉しいのだ。

 

後を追うようにしていってしまったおばあちゃん

おばあちゃんもおじいちゃんが亡くなる前から体調がそんなによくなかった。

そして最後の方は老人ホームに入っていた。認知症も患っていた。

 

ある日、おばあちゃんも長くないという事で親戚一同でお見舞いに行った。

最後に皆で会いに行こうという事である。

 

その時に一人一人ベットに横になるおばあちゃんに声をかけていったのだが、おもむろにおばあちゃんが私の方を見て指をさし、「あの子は誰?」と2,3回繰り返した。

久々に会ったこともあり、私の顔がよく見えない事もあり、孫の顔を認識できなかったのである。

周りが「まことだよ。あなたの孫だよ」と説明しても、認知症だからなのか、おばあちゃんは納得していない様な、思い出せない様な、記憶にすらない様な感じだった。

 

私は泣きそうになったが、ぐっと涙をこらえた。帰る時も少しでも気を緩めると涙が止まらなくなると思い、ぐっとこらえていた。

 

その時の自分の気持ちを振り返ると、

「全然会いに行かなかったし、忘れられて当然」「今迄散々お小遣い等をもらったのに、何も返せていない。俺はお金(お小遣い)を貰う為に会っていたのか」

と、じぶんの今迄の行いを悔いたのを今でもはっきりと覚えいてる。

 

今できる事をしなければ意味がない

仕事が忙しいから。面倒くさいから。等の理由で私は本当に大切な事を後回しにしてしまった。

大人になった今でも私は人付き合いが苦手だ。大人数の飲み会も苦手だ。

 

でも、本当に大切な人はたまに顔を見せるだけでも、5分だけ会話するだけでも良いと思う。

行きたくもない飲み会に行くなら、本当に大切な人に会いに行くべきなのである。

 

居なくなってからでは何もできない。

会話をする事も、会う事も、顔を見る事さえできない。

天国から見守ってくれている というのはきちんと悔いなく送り出せた人が言えるセリフで、私はもっと会いに行くべきだったと後悔している。

家族で行くのが恥ずかしいなら、一人で行ってちょっとだけお邪魔して帰ってくるのでも良かった。

それだけでもお互いに嬉しい気持ちになれた筈なのに。

 

本当に自分の人生で大切な人が誰なのかをきちんと考えなければいけない。

 

 

私は8年働いた会社を今月で退職する。

 

 

久しぶりに親に会いに実家に行ってみようと思う。